人は自分の中にどのような向き合う鑑を持っているかがとても大事なことのように思います。
いくら向きあったといっても、相対的に向き合っていたのではその主軸次第でいくらでも自分の都合の善い方へと解釈しているだけで本来の正直な内省や反省になっていることになっていないからです。
ちゃんと向き合えば、そこに確実なものが顕現してきます。それが観えれば、それに照らして自分を素直に変えていくことができるのです。
しかし実際は、なかなか向き合えないものです。本質を捉えるにも実力が伴います。ありのままを見抜くには自分の心と対話し本来のあるがままの答えを自らで明らかにしていかなければなりません。しかし他人にはそれぞれに正しいと信じ込んだ思い込みというものがあります。特に教えられた知識でそれが上手くいき、当たり前になるように習慣付けばその習慣はなかな手放せません。
習慣は第二の天性という言葉がありますが、今まで身に着けた習慣を変えるということは本当に大変なことだからです。それは単に行動だけを変えればいいのではなく、自分にとっての不可能に挑戦するような実践をすることで意識を丸ごと変えるというような大転換が必要になるからです。
そしてそこには全て心を伴いますから、強い心を持てるようになることが肝要なのかもしれません。だからこそ人には信念というものが用意され、その信念を正すために理念があるということです。
理念があるということは、その理念に照らして実践を改善することができるということです。理念というものは、いわば映し鏡であり自分の心を照らす鑑であるのです。
その理念に沿って如何に本当の自分を持つか、自分らしさを大事にするかは、自分の心を自らで守るような実践を日々に持てるかどうか、また心を共に守ろうとする仲間に出会えるかどうか、そして心が常在感謝になっているかどうかに懸かっている気がしています。
私達の家訓に天の道理は謙虚としているのは、天というものへは感謝できていないと天からの恩恵を自由に受け取ることができないという意味でもあります。天の恩恵を上手にいただき活用するには自分の中の生き方として如何に天性を感謝に合わせていくのかという克己実践が問われるように思います。
常在理念、常在信念であり続けるということが人生道場の基本ということなのかもしれません。
一家としての一年目は、どれだけの意味が隠れていたのでしょうか。
二年目には各々安立に確実な芽も伸びていくと思います。
天性に感謝しつつ、天性に合わせて、天性を存分に発揮していけるようになりたいと思います。
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以前ある方から、「地道に努力できるその一方で人を裁く心がある」と教えて頂きました。近道しようと楽を選ぶことを諦め理想に向かい一歩一歩着実に実践を重ねていきたいと思います。【⚫】
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強欲・傲慢というものは人間の心にしか起こらないものだと感じます。そしてそれが争いなどを引き起こしてきたことは歴史を観れば分かりますが、それでもなお改善されないのは、結局は人間の心の弱さなのだと思います。心を強く保ち大切なものを護っていきたいと思います。
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「天性」を素直に発揮するには、その背景として、感謝、正直、忍耐といった徳目を実践の中で修練し、自分の癖や傾向性を修正することが必要です。また、そのためには、「仲間の存在」というものが欠かせないように思います。一家としての一年目は、そんな「仲間の存在」をお互いに認識し、改めて感謝しあえたこと、そして、お互いの勇気に換えられたことが、克己のきっかけになったのではないでしょうか。
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この一年、正しいかどうかよりも、その機会を福と転じたかという事を皆で実践し、信頼とそのむずかしさ、大切さを学んだ一年であったように思います。それぞれの個性があるからこそ、自分自身も気づかせていただいていることや、させて頂ける機会を頂いていることに気付きます。「なぜそうなのか」「どうして~~なのか」と機会や人に矢印を向けていては、自分にとってどんな機会なのか、何のメッセージなのかを受け取れず、福に転じられないのだと教えて頂いていますが、この一つ一つをしっかりと受け取り、そして実践し、福に変えて行きたいと思います。そうやって天性を活かしていきたいと思います。