人は問題意識と危機感があるかないかで人生が大きく左右されている。
リーダーシップもそうだけれど、如何に日頃からの営みに余念なく過ごしているかが有事にはっきりと顕われるもの。それは常に出来事に対して準備をしているかどうかによるものだと思う。
準備していない人は、日頃の危機意識が低いため準備を怠るから起きてからしか考えることができないのである。意志薄弱なため、危機に日頃から備える胆力も継続するための念力も弱いため、事前に計画を立てることもできないし、その時になってみないとまたは追い込まれないと何もしようとはしない。
つまりこれは準備を怠っているのであり、準備不足のため結局はその場しのぎで乗り切るわけだからあまりその後の力にもならなければたいした成長もない。運や不運で後は言い訳するのがオチなのだから、自分の逃げ癖を変えることもできず習慣を味方にもできず結局はだらしない自分に気づくだけでまた次なる危険に晒されるように人生を送ることになる。
これとは異なり、準備している人は日頃の問題意識も危機感も高く有事に備えているため起きる前にすべての手を打っているものである。油断大敵だと自戒し常に謙虚に物事を捉え、日頃から事前に計画を立てるために余念がない。強烈な意志の力で地味に持続し継続をしているからその時でも追い込まれるようなこともない。
つまりこれは準備に余念がないのであり、どんなことがあってもそれを自分の体験や経験として検証をしさらなる順応力を磨き環境に依存せず溶け込むように常に最善を尽くすように今を大切に過ごしている。運不運もなく、全ての物事を学びとするのだから習慣を味方にし、より自立したリーダーとして人々を守りつつ正しく安全に導くことができるようになる。
常に準備を怠らないとは、心配をすることでもある。
中国の菜根譚に下記がある。
「天の機緘は測られず。抑えて伸べ、伸べては抑え、皆是れ英雄を播弄し、豪傑を顛倒する処なり。君子は只だ是れ、逆に来たれば順に受け、安きに居りて危きを思うのみ。天も亦其の伎倆を用うる所無し。 」
これは私の意訳になるけれど、「天の精密な細工や仕掛けは予測できないものである。まるで押したり引いたりと、千差万別である。これが英雄を翻弄し豪傑をも転倒させるものだ。君子やリーダーは、そういうものに対して逆境であればこそ順境であるように受容し、安全安心である中においても常に危機意識で過ごしているものである。天もこのようなすぐれた準備の持ち主には何も影響を及ぼすことはない。」と思っている。
つまり簡単に言えば、日頃から有事に備えておくのは自然の叡智を活かすことでもある。何かがあればまるで音楽のようにその音の強弱や微細な旋律に心から耳を傾けていく素直な心で応じていくようにすることである。
天を敬い生活を謙虚にしていれば、人は粛々と備えていくものである。
ついこれが準備不足でもいくつかの危機を乗り切れた体験を通じて傲慢な自信から、過信をし自己満足に陥り、何か危機を乗り切る興奮状態こそがリーダーシップのように勘違いしている人もいるけれどそれは本末転倒である。
実際は、大切な人たちの思いや生活を預かるのがリーダーの務めなのだから当然日頃からの営みに準備を怠らず最善を尽くすために前もって取り組み続けていることである。
何かがあってからでは遅いし、何かがある前だと早すぎることもある。
ちゃんと準備するというのは、天の営みに溶け込むように生活をしていくことであると私は思う。子ども達には、日々に生きる力を発揮し、意思を貫き継続する大切さを実践し、常に備えあれば憂いなしの営みを示していきたい。
自立した大人の姿によって、これからの大変な時代を見守る力にしていきたい。