体験融和

人は教えられないものに気づくというのは体験をするということです。

体験をすることで、今まで気づかなかった新しい世界が顕われてくるからです。分かれていた世界が繋がるように、二つ以上のものが一つになるように体験をすることで一体になっていくように思います。

そもそも分けてきたのは、脳が整理をするために様々なものを分けているともいえます。

空気や水、太陽や光という自然のものまで分けていますし、他にも仕事とプライベートとか、平日と休日とか、社会の枠組みにあわせて分けているものを見て、分けているものに自分を嵌め込んでは脳の考えている社会の中で自分というものを配置しているものです。

しかし時折、その脳で考えている通りにはいかないことで苦しむように思います。

きっとこうではあるはずだ、必ずこうなるはずだと先に答えや結果から悩むのもまず脳が先に構築したものと大きくズレてしまうことで混乱しているのです。正しいと思い込めば、その正しいことに固執してしまいます。

巷の経営論や、数々の評論によるものは参考にはなりますが体験にはならないものです。

自分の体験としてどれだけのことを融和していくかが、学びを消化していくことかもしれません。喰わず嫌いになる前に、喰って味わってみてから深める方がそのものが何であったかを丸ごと認識できるようにも思います。

体験ということができるというのは尊いことです。脳はすぐに体験する前に知りたくなりますが、心は常に体験したがっているようにも思います。せっかく自然豊かな地球に生まれてきたのだから、人は地上の楽園で色々な体験がしたいと思っているのが本能のように思います。

体験が楽しくなるのは、その固定概念を壊したときかもしれません。

小さな微細な体験からコツコツと積み重ね、より偉大で奇跡のような体験を深く厚く味わっていきたいと思います。掛け替えのない日々を大切に遣わせていただきたいと思います。

  1. コメント

    脳が、体験する前に知りたくなるのは、身の安全を守るための本能ではないでしょうか。「食べてみないと毒があるかどうかわからない」ようでは智慧が足りません。かと言って、「羹に懲りて膾を吹く」ようになると度を越しています。先人の智慧を学びつつ、分かった気にならないで、また、固定概念にとらわれることなく、体験を通して血肉にしていく方法を、自分なりに確立したいと思います。

  2. コメント

    以前スーツを購入するときは見立てて頂き、今度は自分で選ぶとなると意味合いが大きく違うことを感じています。一度一緒に経験させて頂いたため次の体験で自ら気付くことがありました。金額以上に感じる体験の価値を大事にしていきたいと思います。【○】

  3. コメント

    昨日も稽古のあとに川沿いを散歩しました。季節が変われば木々などに色々な変化があることを感じたり、川では子どもと一緒になって水切り(石投げ)に夢中になるなど、前回とはまた違う体験を味わうことが出来ました。「きっとこうだろう」とは思わずに、体験を積み重ねたいと思います。

  4. コメント

    腰の痛みがまた戻りつつありますが、鈍痛どまりです。前回の痛みが教えてくれた変化の為の機会も、まだまだ本当の意味では変わり切れていないのだと感じています。家族を小さなこだわりに固執せず大きく見て、根っこを家族で確認する機会がまだまだ頂けている事を有難く感じています。
    今日も頂いた機会を大切にして行きたいと思います。

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