過去のことをふり返ってみると、かつて自分が迷い苦しみながらも選択した進路はすでに決められていたのではないかとも感じます。
今というものを噛み締めれば噛み締める程に、過去にあの出会いがなかったらとか、あの場所でなかったらと、一つ一つのことが今の全てに活きているのを実感するのです。
一つの選択が次の選択を呼んでいくように、自分の選択したことで人生そのものの流れができていきます。それはまるで山の上からの水の流れのように、せせらぎが川になり海につながっていくかのように流れていきます。
人生の道というものもまるで川の流れのようなものなのかもしれません。
時折は、静かに穏やかに流れ、また時折は濁流の中を駆け抜けるように流れていきます。自分のいのちの水がどのように流れていくのかを見つめていると、そこには多くの支えがあること、出会った人たちの呼び水によって流れがあることに気づけるのです。
運命とはよく言ったものではないかと実感します。
この運は運河と同じように、ただ流れていくのに身を任せているのではなく、流れに対してどう運ぶのかは自分自身であるという意味なのでしょう。
どうせどうにもならない流れならば、如何に善いご縁にしていこうとするかは自分のいのちが決めるということです。そう考えてみると、選択というものは正しいかどうか答えにそっているかどうかではなくいのちの尊さや有難さのままに感じたか、幸福を実感しているかということになるのではないかとも思うのです。選択とはもっと偉大なところで行っていくというのが運の本質なのかもしれません。
そう感じて観ればどの選択もいつも幸福につながっているということを実感していることが運命をより善く生き切るということであり、運が善いということなのでしょう。
全てを信じる生き方ということもまたその選択の中に存在しているように思います。
日々の一つ一つを真心で味わって噛み締めていきたいと思います。
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確かに、過去の出逢いや出来事の一つひとつが絶妙につながって今があると感じることがよくあります。それも、相当昔からつながっていることを思うと、すごく長期で人生が支えられていることを実感します。一見、失敗のように見える選択も運命であり、そこにはちゃんと次の道が用意されているようにも思います。いかなる道も、直感に従って自分に素直に歩んでいれば、見守ってもらえているのではないでしょぅか。
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日々いろいろなことを選択していますが、そのどれもが幸福への道のりだと考えると無駄なことなど一つもないことを感じます。何か起きるごとにその点ばかりに注目しますが、前後で既に予兆はあるのだと思います。嫌なことが起きそうなときセンサーのようなものが働くことがありますが、実は嫌なことではなくもっと先には幸せに繋がるサインでもあったのかもしれません。目の前のことばかりでなく前後が意味することを考えていきたいと思います。【●】
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今まで行ってきた選択が正しいかどうかはわかりませんが、全てはこれで良かったという思いはあります。心に正直に生きることが出来れば信じることも出来るし、責任を負うほどに幸せを感じられるようになるのではないかと思います。今日も明日への大切な一日として過ごしていきたいと思います。
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大切な人を亡くした時も、その時は大変でしたがそこには悲壮感は無く、前向きに自分が自立する機会だと捉えられたことを振り返ると、家族や友人のひとりも私にそれを強制せず、共感し、受容してくれた有り難さにたどり着きました。心が弱まり、選択を迫られる時ほど、真心の見守りが大切なのだと感じています。自分自身もそういった見守りの恩返しをして行きたいと思います。