真心が至誠

昔から人は真心を持って生きる事や、至誠であることは天を相手にしているという言い方をします。これは天というものの存在を実感し、その天に恥じないような生き方をしようと心掛けているということです。

これをお天道様という名で呼び、そのお天道様がいつも見守ってくださっているのだからそれに恥じないように生きて活きましょうという声掛けをして正直にその性を全うしていたのだと思います。

そもそもこの天とは何かといえば、天地自然のことです。大宇宙という言い方をしてもいいのかもしれませんが、私たちを活かしてくださっている偉大な存在のことをいうように思います。

例えば、私たちの身体は何もしなくても自分で成長し自分で回復していくものです。これは本能とも私たちは呼びますが実際は何かによってそうさせていただいているということです。つまりは私たちの身体も英語で言う何ものかサムシンググレートによって活かされているということです。

私たちが天を感じるというのは、そのサムシンググレートを感じているということでありその天の運行、天の恩恵を素直に正直に承れるようにしていることが謙虚でいるということであるように思います。

本来は天が活かしてくださっているのだから何もしなければその恩恵は享受できるのですが、しかし人間は我や私が入りますからそれをすぐに邪魔をしてしまうように思います。自分の我や私が入り込むことで丸ごと受け取ることができなくなり、運が悪くなっていくようにも思います。

天は人間を活かし、そして万物を丸ごと包み育むのだから必ず善くなるようにしてくださっているのです。だからこそ天を邪魔しないように生きていくこと、自分に与えてくださったものを選ばないこと、来たものは全て善いことになるように祈り取り組むこと、周りの全てを受け容れて一体となって丸ごと善いことになるのだと信じた実践を積んでいくことが徳を高め運がより善く開けていけるように私は思います。

西郷隆盛の座右に「敬天愛人」がありますが、これは天が自分を愛してくださるように自分も人を愛する、それは天の真心のままに活かされますという覚悟ではないかと私は思います。

天人合一というのは、全てを一円の和の中で丸ごと善いことにしていく生き方のことです。言い換えれば、天に対しては謙虚、人に対しては素直でいるということであろうと思います。

人間は無我や無私になる時にだけ、すべての問題が自分の問題になるように思います。
自他一体とは、無我や無私のときにこそ実感でき同時というのもまた其処に存在します。

日々は学びの連続ですが、天に感謝し、全てを善いことにしていくよう内省したいと思います。
日々の有難い体験と学びという豊酬に心から感謝しています。

  1. コメント

    自分の中にある動機を見つめると、まだまだ自分優先、自分都合の事が多くあります。自分にしか出来ない事で役に立つということも、まだまだ分かっていないことに先日のチーム内省で気付かせて頂きました。いつも真心で生きる。世界は自分と繋がっていて、全部自分ごととしてとらえて行きたいと思います。

  2. コメント

    遠目ながらも「奇跡のりんご」を見てあれが噂のと思いましたが、見張るべきは木村さんの姿勢・生き方なのだと感じました。「実を結ぶ」と一言で言ってしまえば簡単に済んでしまいますが、その背景にある言葉の重みは会場の雰囲気を変えるものを感じ、一念が通ずるほどまだまだ真心は使えていないことを感じました。自然沿ったら計算などあってないようなもので、思い通りいっていたら私も今頃別のことをしていたかもしれません。威張らずひた向きに精進していきたいと思います。【○】

  3. コメント

    人を相手にせず、天を相手にするという生き方を垣間見ることが出来ただけで、この一日にとても大きな意味があったのだと感じます。直接自分に向けられたものではなく具体的な何かを教わった訳ではなくても、その存在自体から心揺さぶられるような衝撃を受けました。本来の教育とはこういうものなので、後は自然と自ら学んでいくのではないかと思えます。この境地に少しでも近付いていきたいと思います。

  4. コメント

    これまで多くの偉人から「天」の思想を学んできましたが、「天を敬う」というi生き方が腑に落ちていませんでした。真心も至誠も正直も素直も、すべてこの「敬天」に基づいたその実証でなければなりません。この「天を敬う」という人生覚悟に込められた日本人の生き方を目指したいと思います。

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