先日、失敗についてどれくらい怖いかという話を聞くとほとんどの人たちが怖いと手を挙げていました。漠然とした失敗に対する不安を若い人が持っているのは特にこの国の社会や教育の特徴かもしれません。
そのまま失敗について何が失敗かを定義してみようと話してみると、ほとんどの人たちは「やらなかったことへの後悔」が失敗であったと話していました。そして逆に成功は、「遣りきったことへの信頼」であることだと話していました。
つまりは、やりたいと思っていたことを途中で諦めてしまい挑戦しなかったことを失敗とし、怖かったけれども思い切って挑戦してやり遂げたことを成功だとしたのです。
言い換えれば、結果に対して失敗か成功かではなく、挑戦したかしなかったかということが振り返ってみると失敗か成功を決めているのです。心で決めたことを遣ることは自分への信頼と自信が持てるようになります。自分の心が決めたことを頭や感情で抑制してやらせてあげなかったとき人は自分への信頼も自信もなくなっていくのです。それを後悔というのでしょう。挑戦することが後悔がない人生を歩ませ、挑戦しないことが後悔の人生になると思うと、日々の選択をどうしたか、挑戦か逃げかの集積で人生全体の成果が決まるようにも思えます。
しかしなぜそのようになるのかは、挑戦するときの勇気が出てこないことに問題があるように思います。日本の社會では、何かを挑戦しても結果次第では非常に厳しくマスコミや周囲がその人を叩きます。ただでさえ結果が出なくて落ち込んでいるのに、そこに追い打ちをかけるように痛めつけようとします。
本来は、挑戦したことが尊いのだからと励ましたり勇気付けたりするのが見守る社會なのでしょうが失敗したら取り返しがつかないとか挑戦しても無理だとか脅すような声掛けの方が多いのです。もちろん人情からいうのでしょうが、個人主義が蔓延し自分のことで精いっぱいだから人の世話が見切れないからいうのかもしれません。
挑戦すると本人が決めたのだからみんなで支えるというのが温かい社會です。チームワークも同じく、その人の決心を尊重しみんなでそれを支える、それは時には厳しくもあり、時にはやさしくもありますがそういう仲間を持てることで人は挑戦を楽しんでいけるようにも思うのです。
石橋を叩いて渡らない人が増える中で、石橋が壊れても必ず助けるからと周囲がその人の決心を信頼し尊重する社會がある中で人ははじめて挑戦できるのかもしれません。
安心できる環境というのは、何かあっても信頼できる周りがいるんだと自分が思えるかどうかにかかっているように思います。善い仲間に巡り合うことも、何かあったら必ず助けてくれるという絆が持てるのも、ご縁のように思います。
子どもたちには自分のやりたいことを遣り切れる、言い換えれば夢をかなえられるような人生を歩んでほしいと願います。だからこそ、常識に囚われずに熟慮したら挑戦し、安心して石橋を叩いて渡ることができるような社會を広げていきたいと思うのです。そしてそういう挑戦をすることができる人こそ、社會貢献ができる人であるのは自明の理です。
畢竟、自分から仲間を信頼するというのは、自分自身の信頼を一つ一つ積み上げていくのに似ています。自分の決心を優先できる本物の勇気と強さを実践していきたいと思います。
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「挑戦」には「不安」が付きまとい、不安になるとどうしても最後の決断に迷ってしまいます。しかし、ほんとうは、不安だから迷うのではありません。迷ったままだから、いつまでも不安が消えないのです。「自分の心が決めたこと」は「自分との約束」です。この「自分との約束を守る」というところに「迷い」は消えていくでしょう。ここに克己の工夫を重ねていきたいと思います。
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心が願ったことを頭が勇気を否定し、理屈で考えてしまい、心のねがいを叶えなかった事が、小さな事から大きな事まで、自分に対する信頼に傷を付けている事を感じます。しかし、付けた傷は、今からでも挑戦することで、良かった事に変えられるのだからこそ、沢山の先輩方が仰る、本当の失敗は挑戦を辞めた時だという言葉に、強い意味を感じています。挑戦をやめない、信じる心を大切にして行きたいと思います。
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挑戦する内容に難易度はあるにせよ、遣ってみることで始まることがあると感じています。ふとした拍子にあさりの酒蒸しが食べたくなり作ってみました。初めてでしたが以外と上手くいき、食べたいと思ったときに食べれることほど幸せなことはなく、タイミングが外れれば美味しいものでも今じゃないと感じてしまいます。そう思うと難易度や失敗が招く周りへ与える影響力もありますが、動き出すまでの時間は短いほうが挑戦する挑戦が増すのかもしれません。仲間の挑戦が他のクルーの挑戦を生むように好循環の一つになりたいと思います。【●】
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心で決めたことを自分の頭が抑制したならただの後悔で済むかもしれませんが、周囲がそれを抑制したとなれば下手すれば後悔はなく開き直りとなり自分をねじ曲げてしまいかねないと感じます。今回のお話からも後悔はある意味では可能性であるように思うと、子どもに対しては応援はあっても強要や抑制はせず、自らの決意で生きて欲しいと願います。自分もまた自他を応援していけるよう精進していきたいと思います。