昨日、南アルプス市にある櫛形公園特設馬場にて流鏑馬神事に参加してきました。ここは小笠原流流鏑馬の発祥の地であり、その流鏑馬の基礎を確立した小笠原長清の生誕の地です。
流鏑馬(鏑流馬)とは、疾走する馬上から的に鏑矢(かぶらや)を射る、日本の伝統的な騎射の技術・稽古・儀式のことを言い。馬を馳せながら矢を射ることから、「矢馳せ馬(やばせうま)」と呼ばれ、時代が下るにつれて「やぶさめ」と呼ばれるようになったといわれます。
武士の稽古や武術の鍛錬として活用されてきた流鏑馬と神事として行われているものとではその定義もまた異なるように思います。最近ではスポーツ流鏑馬というものもあるらしく、そもそも流鏑馬とは何かということを私なりに深めてみます。
古武道としての流鏑馬の歴史はとても古く、一説によれば神武天皇の世にはすでにはじまっていたという説もあります。古武道というものは、日本古来の心を顕すものでありその心が形となって動作になったものを示すものです。
これは神道の様々な動作に観てとれるように、一つ一つの行動がすべて畏敬の念や真心を顕すように自らがその心であることを自然に行うものです。神社で神主が行う所作や言霊は神前であることを気づけるものです。
心とは、その行動により顕れるものであるというのは神体一如の観姿ではないかと私は思います。思いやりは思っているだけでは思いやっているのではなく、具体的な行動に移してこそはじめて思いやるになるのです。
これはすべてに通じていて、私はこれを「実践」と呼び、実践なくして思いやりはないと言い切っています。思いやるということは、それを何らかの形にして実践してこそはじめて人に伝わり世の中に波紋を起こすことができるように思います。
私は昨年、西行法師を深めている際に流鏑馬に出会いましたが本来の流鏑馬はずっと長い歴史があり、その真心が何かということを知れば知るほどに確認することができています。特に小笠原流流鏑馬には「相手を思いやる心」を動作にするものが真髄であると書かれています。
真心や思いやりというものを実践で表す神事の一つに流鏑馬があったと思えば、西行法師が何を源頼朝に伝えたのかは自明してきます。神前であること、見守りの中である自分たちが如何に正直で素直であるか、清浄無垢で純真であるかを太古の昔から私たち大和魂は大切にしてきたのかを実感します。
一つのご縁が、様々な学問を深めて発展していきます。
まだまだ分からないことばかりですが、長い時間をかけて深めていきたいと思います。
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登山もさかのぼると今のようなスポーツ登山ではなく、信仰から始まる登山であり、日本の記録では717年に泰澄和尚が登り、山を開いたとありました。私自身も登山を始めてまだ3年、スポーツ登山には変わりありませんが、山に登る目的が精神性を高めることであり、また人間性を高めることであることを思い返すと、この3年で、何の気にもせずに登山道のごみを拾っている自分がいますが、では山を下りたら拾わないのはなぜかと問うと、「新宿はごみがありすぎるから」と条件に自分を合わせている自分がいます。今年も、山と向き合う季節が始まりますが、この一年で少しでも「分けない」ということを実践から掴み取っていきたいと思います。
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外から来たお客様が社内実践を食い入るように見て下さったり、カードをお持ち帰り頂いたり普段お会いする機会のある方に改めて会社を見て頂けたことは、嬉しいことです。今日だけ特別に張り切って頑張った訳ではなく、ありのままを見て感じて頂けたことそのものが実践であり、日々の積み重ねの証でもあることを感じます。思っている考えているだけのときほど、気を引き締めていきたいと思います。【●】
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日本には、神事が元になっている文化・風習がたくさんあります。日本人は、そういった神事を通して、神や自然に対する感謝と畏怖の念をきちんと形に現してきたのでしょう。「いただきます」も「ごちそうさま」も元は神事作法だったと聞きます。こういった思いをきちんと形に現すことをいつの間にか怠って、簡易な形式だけになったり、バカにしてそのものをやめてしまったりしているところに、人間としての心を見失った原因の一端があるでしょう。残っている日本文化のルーツを辿って、大自然との調和を大切にする感覚を取り戻したいものです。
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昨日は電車内で年配の方が年配の方に席を譲ろうと声をかけている姿を目にして、思いやりのある行動は周囲を感化して浄化する力があると感じました。今のこの通勤ラッシュの蒸し暑いすし詰めの車内の中でも如何に心をなくさず思いやりの心を維持できるか。心の持ち方を変えてこれも日々の鍛練の一つとして楽しんでいきたいと思います。