運菌の世界

昨日、社内の発酵研修と自然に学ぶ体験の一環で千葉の藤崎農園にて田植えを行いました。ここの玄米は、本当に美味しくて今までどこを探してもここほどの美味しい玄米は食べたことはありません。

もともと藤崎さんの理念が、「安心、安全で食べることで元気になるお米をつくる」ということを大切になさっています。その理念を実現するため、不耕起で農薬を使わずに生き物たちがたくさんいる田んぼを実現しています。

訪問して3度目ですが、明らかに水田の中に目に見えるもの以外の観えないものの存在を実感させられます。それは菌類の働きですが、土の中で様々な菌たちが交代で一年の四季の中で役割を果たし活動し、そのいのちのめぐりが豊かであることを実感するのです。

昨日は発酵を学んでいたこともあり、圧倒的に菌の存在を実感できうれしくもありまだまだ奥深い世界の一端しか観えていないことに有難い気持ちになりました。

また同時に、私たちが玄米を取りいれ社業に実践しているように藤崎農園の玄米を用いてタコライスを作って提供されている方とご縁もいただき、意気投合し、また秋の収穫の際にもご一緒することになりました。

善い場には善い人が集まる、そして善い発酵にはさらによい発酵を引き寄せてくる。

これは「運気」のことをいうようにも思うのです。人はどのような生き方をするか、自然が喜ぶ生き方か、それとも自然に反して自我欲を優先し自然が悲しむ生き方をするか、それは人生の選択のようにも思います。

一般的には自然がどうとか直接的生活に関係のない生き方をする人たちがほとんどですが、私はなぜか福の神がいつも着いてきて助けていただいている人には、そこに自然と一体に生きているその人が福と一緒にいるからのように思えるのです。

たとえば、他人の幸福を願い、他人様の御蔭に感謝し報恩で生きる人の周りにはそれを必要とする人たちが集まってきます。そうするとお互いに幸福を分け合い豊かになりますから自ずから幸運もまた訪れるようにです。

謙虚さや正直さというものは、自然の恵みに感謝できているという御姿の顕れだと思います。

人はたくさんの恩恵をいただいているのですが、それを身近に実感できない社會や生き方というのはどこか貧しく思えるものです。何もないようなものの中にこそ、無尽蔵の宝が存在する。

そこには菌の世界が息づくような偉大な世界があるように思います。そこはまさに運菌の世界です。

昨日も大切なことをたくさん学ばせていただきました、やはり学びとは一人で行うものでもなく机上で行うものでもなく、理念を共に現場で学ぶ中にこそ真の学問が存在します。仲間と一緒に学び合える機会があるからこそ人はそこで真の成長と変化を体験することになるのでしょう。

苗から穂になり種となるまでしっかりと見守っていきたいと思います。これからのご縁がさらに深まり発展していくのを楽しみにしています。

ありがとうございました。

  1. コメント

    松下幸之助さんは「天地自然の理に従う素直な生き方」を探究されましたが、自己にとらわれない宇宙万物自然を先生とする意味と、その一端が、ようやく見えてきたように感じます。書かざる天地の経から、真の道をもう一度学び直し、為すべきことのみを素直に為す強さを身につけたいと思います。

  2. コメント

    出会いの中から、決めつけず、本当はそうかもしれない、そういうことがあるのかもしれないと、学び続ける野見山さんの姿勢に、強い刺激を受けました。決めつけてしまえば、学びは深まらず、確信も深まらず、器や実践も深まらないのだと改めて教えていただく機会となりました。自分が求めたものでできているのが自分なので、もっと日々の生活や一瞬一瞬の求め方を変えていきたいと思います。

  3. コメント

    普段頂いているお米だどんな環境で育ち、どんな人が携わりどんな人なのかを知ると、おいしい秘密を知ったように感じます。お米の周りに人が集まり、採れたお米でまた別の人が喜ぶ自然でいて嬉しい気持ちになります。田んぼの中に入り感じる感覚や風やカエルの鳴き声、作業を少し手伝わせて頂いただけでも大変なことを感じます。一口一口味わって頂きたいと思います。【○】

  4. コメント

    出逢った方々の素敵なお人柄が印象に残ったため、お米を見れば人ばかりを思い浮かべてしまいますが、本当はそこにいた沢山の生き物たちにも感謝するのが本当なのだと感じます。楽健寺の酵母ましも酵素浴も単なる自然現象と思えばそれまでですが、そこに目に見えない生き物の存在を感じ感謝できることは世の中の全てに通じているのかもしれません。見えないものほど大切にできるよう感じる力を高めていきたいと思います。

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