人間は日々に心臓が鼓動を打ち、血液が脈動するように一定のリズムを保っています。それは体温も同じく、36度5分といった一定の温度を中心に上がり下がりもしますが同じところを保っています。
私たち動物は、呼吸をしますがその生活環境によっていのちの奏でる音楽があるように私は思います。
その一定の音楽を奏でるのは自分の主体性であることは当然のことですが、それが受け身になったり流されたりすれば生活も同じようになっていきます。生活を改善するということがなかなかできないという話があります。
これは自分の生活の軸が定まっていないことが関係するのではないかと思います。人間は畢竟、自分自身との正しい付き合いで自分一体の一人になるように思います。心と体が離れてしまっていたら、それではなかなか一人になることもできません。
たとえば、毎日追われるように生活してしまうのもリズムがどうなっているのかということでしょう。主軸が真心や感謝の側にいるのなら、地球のリズムのように自らも自らのリズムを持つのでしょうがそのリズムが狂ってしまうとなかなか元に戻らずに大変になります。
リズムを取るのに、音楽では拍子をつかいます。特に民族音楽や古来の民謡などは「口承」といって口伝によってその民族特有のいのちのリズムを子孫たちへ譲り渡していたという話が残っています。
これもリズムの奥深さで、何千年、何万年と民族が生き残ることができるように智慧を唄にして伝承してくたのでしょう。今の時代は、どこかその拍子が抜けた拍子抜けのリズムが蔓延しているような気がしています。
手拍子一つにしてもなかなか合わず、拍子も民族の一定のリズムが心体に降りていないままに派手なところばかりで盛り上がろうとしてしまいます。神道の祝詞や音楽のように、荘厳なリズムがあることを自覚することで落ち着くのもそこに口伝があるからかもしれません。奥深さを感じてありがたく思います。
私はこのリズムこそが、人間の生活を改善する妙法になるのではないかと直感します。これを律動の原理と名付けてみようと思います。如何に修養をし、日々の律動を自明するかはその人の生き方にかかっているように思います。
そこには生き方を決める、決めた生き方どうりに貫くといったリズムをまず基本として身に着けることからはじまるように思います。惑いや迷いに移ろわないように実践を積み上げて正しい習慣にしていくことが着実な方法のように思います。
どんな生活をするかはどんな音楽を奏でるかと似ています、たくさんの方々のことを思いやりハーモニーを創りだすことが自然にできるような律動を学びこんでいきたいと思います。
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円満祝い唄も、今回の田植え経験で我が家でも歌う回数が爆発的に増えました。お蔭で練習となると同時に、娘の手拍子に合わせて歌うときもあれば、歌に娘が手拍子を合わせることもあり、どちらとも決まらない距離感がとても面白く思います。
ただ、テンポを取ろうとするのではなく心も合わせようとしている姿については子どもから学ばせてもらっています。心が躍る振動を音に変えていきたいと思います。
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みんなで何かを行うときには、「呼吸」が合わないとうまくいきません。また、人は、感情的になると呼吸が乱れますし、病気のときは脈が乱れます。それを、自分なりに正すことも大事ですが、我を外して、常に「大自然のリズムと呼吸」に合わせて生きようとすることが、最も安定感があり、波動・波長が整って、一体感を得られるのではないでしょうか。
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リズムで最も身近に感じるのは生活リズムです。規則正しい生活からちょっとしたことで簡単に乱れ、何とか立て直すそんなことがしばしばあります。多少乱れてもどうにかなる、やり過ごせていますが誰かとあわせようとなったらそうはいきません。一人のときほど乱れやすいことを自覚し、指標となるところに自分をあわせていきたいと思います。【○】
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やるべき時にやっていなかったりタイミングを逃したりするのはリズムが掴めていないからだと思うと、一拍一拍を正そうとするよりも大きな変化でリズム全体を見直さなければならないと感じています。日常の習慣から試行錯誤して今の自分に適したリズムを身に付けていきたいと思います。