人類は今まで様々な困難を乗り越えてこれたのは、人間は高度な社会を形成することができたからであると師から伺ったことがある。
私たちは今まで、なぜ生き抜いてこれたのか、その問いは人々が人との関わりを大事にして互いに貢献し共生してきたからこそ繁栄と発展を享受することができた。
たくさんの人たちと関わればいいのではなく、一人ひとりを大切に接していくことで思いやり、出会いと繫がりが絆で結ばれているからこそ助け合うことができたのであろうとも思う。
持続可能である生命とは、自然界がもっとも私たちに示してくれるようにお互いの深い信頼と絆で助け合い生きていこうというメッセージを常に顕現させていただいているものであると私は思う。
みんなで分け合い、みんなで助け合い、みんなで認め合い、みんなで話し合い、みんなで分かち合い、みんなで生きる。
みんなが持続可能に生きるという目的に焦点をあわせてそれぞれが助け合っていくことで今まで生きてこれたのであろうとも思う。
何十世代の前から私たちのために、生きていくための力を遺してくださった先祖の方々、その生きる力を私たちは心に秘めて今を生きている。
その生きる力を捨てて、自分の殻に閉じこもったり、他を蹴落としたり、奪い合ったり、自分の身ばかりを守ったり、絆を断ち切ったり、関わりを表面上の希薄にしたり、対話を避けたりするから滅びのサインが様々なところに顕われてきているのであろうとも思う。
人間は、様々な困難を乗り越えたのはみんなが共通のテーマであるどう生きるのかということを真摯に考えて協力してきたからだ。それは、生き方でもあり在り方でもあり、みんなで生きるということの素晴らしさを尊重してきたからでもある。
なぜ人は生きるのか、なぜ死ぬのか、それを思うとき必要としている人たちがいてその人たちのために自分を生き、自分を死ぬことが幸福なことではないのか。
人は決して一人では生きられない、それは人類は一人では生きられないことを意味している。
だからこそ、他人との繫がりや関わりをどれだけ一期一会に大切にできるかということが人類持続可能の至高の一手であるのだろう。
都会の煌びやかに派手に映るネオンに目を眩ませてはいけない、人間が内部に持つ本物の光にこそ眼を向けてその光を観ることである。
その光を観れば、心が安らぎ、命の偉大さを実感し、優しさや思いやり、そして穏やかな楽園をそこに見出すことができるもの。
持続するものとは、もっと競わない穏やかな世界にあるものだ。
私たちは今こそ、みんなでひとつになってチームになり地域を再生し、人々との和を紡ぎ合わせていかなければならないのだと私は思う。
持続するのは紡いだ命の糸をみんなで織りあわせていくことである。
持続可能な世界を子どもたちと一緒に力を合わせて築いて生きたい。