人生というものを振り返ってみると、様々なご縁に導かれて今の自分がいることがわかります。
そのご縁は、人間だけではなく様々な事物や時間、場所に留まらずありとあらゆるいのちとの邂逅によって得られています。これは自分で選んだようで自分で選んだようでもなく、自然の流れの中で自らがそれに気づき、それによって発達しているようでもあります。
世界では産まれた時代や生まれた場所で、様々な人生を送ります。それがどのようなものであるのかはその人にしかわからず、ある時はその悲惨な人生を知り悲しく涙を流し、ある時はその栄光に満ちた人生を羨み祝福をしたりもします。
しかし実際の自分の人生を思うとき、自分に与えられた道が一体なんであるのか、なぜこれらのことが自分の身の上に起きるのかと考えると、意味というものはつながっていて、その意味をたった一人の自分がひも解くことが何よりも大切であることを自覚するのです。
何も考えなくても生きられるようにできていますし、どれだけ考えても生きられないこともあります。人生とはまるで、大河の中に浮いている葉っぱのようでもありますがその道中がどのようになるのか人事は尽くしても天にお任せしていくしかないのでしょう。
先日、「遠野馬物語」(高草操著)里文出版の冒頭に作家の曽根綾子さんの言葉に出会いました。とてもシンプルな文章ですが、そこに人生というものの大切な意味が込められていいるように思いますので紹介します。
「人間は長い歴史の中で、たまたま自分が生まれ合わせた時代の、たまたまそこに居合わせ場所で、最善を尽くして生きればいいだけなのである。それ以上、小さな一人の人間に何ができるだろう」(失敗という人生はないより抜粋)
この小さな人間に何ができるのだろうか、、、ご縁という不思議で霊妙な世界に生きる私たち。
どれだけ大切に過ごしているのか、もう一度、今いるこの場所、周囲の人たち、そして自分を見つめ直すことができる言葉です。
一期一会の人生を真心のままに活かされていきたいと思います。
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時の流れに乗るとは、簡単ではないと感じます。ただ任せていても時が流れるだけで、時の流れに合わせて行動し続けることが必須なのだと気付きます。時の主体性と自分の主体性をシンクロさせて一つになっていきたいと思います。
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「人生とは、まるで大河に浮いている葉っぱ」。何だか映画のワンシーンのように聞こえます。映画だと2時間くらいを切り取っていますが、本来は映画以上に様々なご縁があり導かれているのだと思いますが、それに気付かなかったり見逃したり活かしきれなかったりいろいろあることを感じます。そうは言っても今年もドイツへの機会を頂き、頂いている数もたくさんあることを感じます。大変なこともセットに楽しんでいきたいと思います。【○】
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最善を尽くして生きればいい、というそれ自体がなかなか難しく感じられます。まだまだ尽くせると思い発憤することも、感謝を忘れぬよう今を受け入れることも、繰り返していくことで自分が見えてくるように思います。ご縁の中に自分が居ることを忘れないよう日々を生きたいと思います。