愉快な仲間

昨日、久しぶりに共に苦労を分かち合った園長先生と一緒に会食をすることができました。

今では別の組織へ移動し、改革の担い手として新しい道を切り開こうとしていらっしゃいます。

歩んだ道が確かだったかどうかは時間が経つことで観えてきます。共に何を信じて実践してきたか、そして何を信じて生きてきたかが道跡として遺っているからです。思い出話に花が咲きましたが仕合せだった出来事にすべて美化されていきました。今の仕合せに出会うということが本当の幸福なのかもしれません。

善いご縁をいただけるということは運命であるようにも思います。人は自分が生きようとする生き方で仲間を集めてご縁が広がります。生き方が運命を決め、運命が人生を決めていきます。誰と出会うか、そしてどう生きるのかはその人のものですから学問の有難さ、仲間のお蔭さまに涙がでます。

私は最初に創った理念ブックのはじめのページに次の論語を書きました。

「子曰わく、与に学ぶべし、未だ与に道に適くべからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべし、未だ与に権るべからず。」

道中では色々な方々とのご縁がありますが、その一つ一つの出会いが深い意味があります。みんな道は一人で歩みます、しかし道中は語り合うこと、支え合うことができるのです。それが人生の美しさなのかもしれません。

その方が何より素晴らしいことは「愉しむ」ことを忘れないことです。思い返せばお会いしたときから、苦しいことがあっても愉しむ方でした。そして神仏の御加護だと謙虚に真摯に学ぶ方でした。今でも本当に理想を志して大変な中で奮闘しているのではないかと察しましたが愚痴ひとつ溢さずに「知らないことが沢山で毎日が愉しい」と快活に語られる姿に歩みかたの醍醐味と覚悟の仕方を教えていただきました。

「おもしろきことなきこの世をおもしろく」という高杉晋作の言葉は、ひょっとすると全ての人生の責任は自分のものなのだから自分の人生を愉しむのだという志を立てよと仲間を激励しているのかもしれないと実感しました。

ご縁は本当に不思議で日々に辿っていけば、目の前にいる人も目の前にいない人もそこでは確かな糸と絆で結び合っていますから出会いは何よりの学びです。

そして出会いを実感するとき、同時に誠に有難きは生きているということです。

生きてさえいれば、いのちさえあれば愉しみも希望もそこに全部丸ごと存在します。

昨日の気づきから自分は愉しみをまだまだ存分に伸ばしていけると実感しました。仲間や同志、先達が愉快な背中でそれを語り掛けてきます。あんまり真面目に頑張りすぎて悩まないこともまた道の福処世術なのかもしれませんね。

生きているこのいのち、どのような華を咲かせるかは人生の終焉の愉しみですから唯一の自らの天与の道を明るく素直に小唄でも口ずさみながら朗らかに歩んでいきたいと思います。

また一緒に道中を愉快な仲間たちと味わい語り合える日が楽しみになりました。
有難うございました。

  1. コメント

    愉しむ姿勢に愚痴はないのだと、シンプルかつ、厳しい本質を教えて頂く機会となりました。笑いや愉快は周りに灯りを照らすライトワークと、先生は仰いました。ライトワークは、周りに灯りがつくことが仕事ではなく、自分自身の炎を柔らかく灯し続けることであり、周りが灯りを必要とするほどの柔らかい炎になろうと目指す事にあると感じました。仲間がいると言うことは、愉快を相乗させる仲間がいると言うこと。その感謝を行動に変えて行きたいと思います。

  2. コメント

    クルーを見ていても真剣に取り組む中でも遊び心はいつもそばに置き、その遊び心が周りを明るくさせてくれていることを感じます。ついこうしないととか、こう決めたのにと思うこともありますが、それよりも心がわくわくする方を優先していないと行き詰まってしまいます。そう振り返ると何かを始めて継続するのは、それを探しているからなのかもしれません。
    頂いた思いに応えられるよう楽しく学んでいきたいと思います。【○】

  3. コメント

    仲間たちの姿を見ていて本当にいいなぁと思えるのは、ただ愉しんでいるだけではなく皆が信念を持って生きている、その真剣さが愉しさの裏にあるからなのだと感じます。子どもがデコボコ道や水溜まりをあえて選んでいくように、平坦な道でないからこそ愉しいのだと、労をいとわず変化を求めていきたいと思います。

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