昨日、ある保育園で新理念研修を行いました。
この園は、すでに12代園長が交代し脈々と歴史を積み重ねた上に今の姿があります。その今をもう一度、再確認し味わうことで私たちにとっても理念を新たに学び直す善い機会になりました。
そもそも時間や歴史というものは、地球の土の層が積み上げられていくようなものです。氷河期には氷河期、温暖期には温暖期、それ以外にも様々なその時代の背景によってその土も異なってきます。しかし今があるのは、それまでに積み重ねてきた歴史があるからこそ今はその上に成り立っているのです。
以前、樹木の生態系のお話をお聴きした際に「今の樹木は4億年の自然淘汰の結晶で成り立っている、今の森の姿は4億年の積み重ねの上で出来上がってきた森なのです」ということを知りました。
これを同じく、私たちの今の姿も先祖代々から積み重ねてきたいのちの歩みが成し遂げた発達なのです。
そしてそれは「道」であるように私は思います。
どのような足跡を遺してきたか、どのような歩み方をしてきたかは振り返ればそこに確かに遺っているのです。いい加減なことはできず、自分がちゃんと歩んだかどうかは子孫や後人を歩む人たちの心に刻まれていくのです。
そしてそれが文化というものです。
この文化は、一緒に歩んだ軌跡なのです。ここまで連れてきてもらった、ここまで来れた、それは一緒に歩んだ人たちの努力の御蔭でしかありません。一人ではここまでこられなかったものが、たくさんの人たちの協力や支援の御蔭で今があるのです。
道を切り拓くというものは、自分の足で歩むということです。どんなにそれが茨の道であったとしても、それがどんなに厳しい道であったとしても、一緒に歩んでいくからこそ愉しい道になっていくように思います。
道を味わい、道を噛締め、道を活かす。
そういうものをみんなで一緒に確かめることが理念研修の本質なのです。今の時代は、スピードがあがり早く早くと結果ばかりを求めようとします。そういう教育を施されれば道を切り拓く大変さよりも簡単便利に手に入る結果に一喜一憂したくなるのかもしれません。
しかし人生は脈々と文化を継承し、子子孫孫、子どもたちがそのあとを歩んでくるのです。だからこそ自分たちの責任を自覚し、自分たちがどのように歩んだかを遺すのかが今の時代を生きる私たちの使命なのです。
責任を果たすというのは、使命を果たすということです。そして使命を果たすというのは、自分自身を精いっぱい生き切るということです。そして生き切るとは道を切り拓いていくことなのです。その生き方が子どもを信じ見守る先導、つまり伝導士なのです。
一緒に歩む仲間がいるだけで道を歩む愉しみが倍増します。これから新しく歩む道の先がワクワクします。引き続き、切磋琢磨しながら研鑽に励み、道を先導できるよう精進していきたいと思います。
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仕事をしているか、結果を出しているかではなく、道を歩んでいるかとまず自分に問いたいと思います。自分自身が道を切り拓くという意識を持っていなければ、誰かに任せているだけですし、いばらの道もだれかが歩んでもらってから、、、となってしまうと感じます。家族も一家も「自分が守る」という意識を忘れずに日々自分に問いかけていきたいと思います。
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スタートはここからと思うと、何一つ手を抜けません。ただ、口を開くとため息ばかりが出てきます。完璧を目指すより、楽しい方を選択する余裕をこんな時こそ持っていたいと思います。【●】
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人生には「焦りと慢心」という二大失敗要因があると言われます。「焦り」は、待つことができず、時間をかけて地道な努力を積み重ねることができないことであり、「慢心」は、感謝を忘れ、協力者の存在を見失うことです。この背景のひとつに「結果主義」という思想があるでしょう。「結果さえ出せばいい」「結果さえよければ報われる」という誘惑です。結果を出さなければ説得力も影響力もありませんが、世間には、ただ「動機と目的」を頼りに、一歩一歩歩き続けている人がたくさんいることを見失わないようにしたいと思います。
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伝導士という言葉の重みを感じました。信じる心や想いが伴わなければ、いくらその道を歩んでいても何も伝えることは出来ないのだと思います。道を切り拓いて下さった先人方の信じたものを受け継ぐ努力はしているか。想いを枯らさないよう、切り拓く者になれるよう学び直していきたいと思います。