人のために動く~働く幸せ~

先日、日本理化学工業を見学するご縁に恵まれ、大山会長から「皆働社會」についてお話をお聴きすることができました。

そもそも「働く」という字は、人の為に動くと書かれています。この字は日本語であると仰られ、他人の御役に立つという意味で用いられるのが本来の意味であると教えていただきました。

昔の日本人というのは、暮らしそのものが働くことだったと言われます。西洋のようにバカンスもあるわけではなく、休みも週休2日かだったわけではありません。日々に御日様が昇りご挨拶をしたら社會のために自分のできることでお役に立ち、日が沈めはみんなでまたその日一日の仕合せと御蔭様に感謝し御休みするという繰り返しの中で助け合っていました。

今では個人主義が蔓延し、朝から仕事をして夜寝る前まで黙々と行うことが増えているように思います。時には徹夜で休みもとれず仕事に追われるような日々を送っている人も多い時代です。

そのうち何のために行うのか、これは何のお役に立つのかを思うのではなく終わらせることが目的になって疲れはてている人も増えてきました。人間というものは、自分のできることが誰かの御役に立つ実感がでるときその疲れもまた清々しいものになるものです。しかしそれを思わずに、ただ遣ることがメインになれば疲れもとれず楽しくなくなってしまうものです。

仕事を楽しもうと無理に楽しんでも、それは一時的な娯楽のような楽しみは感じられても長続きする愉しみにはなりません。よく仕事で疲れたからと旅行にいってみても、帰ってきたらどっと疲れるということがあります。本来、仕事の疲れというのは、仕事でしかとることができないのに、仕事以外のことで疲れをとろうとするから楽しくなくなってしまうともいえます。

長続きする真の愉しさというのは、働くことで得られるものです。それはただ業務を遂行することではなく、誰かのためにお役に立ち、そのことでお役に立てる実感を自らが味わっているとき働く幸せを感じて愉しくなるのです。

仕事が楽しくないというのは、業務そのものが目的になってしまい本来何のために行うのか、誰かのために自分が親切であったかというのが関係しているのです。

私も日々に忙しくしていますが、どんなに忙しくても自分の存在や自分が一生懸命に取り組んだ仕事が誰かの御役に立っていると実感するとその疲れも吹き飛んでいきます。自分が他人のために動くとき、働ける有難さ、働くことの幸せを実感できるのです。

心の豊かさと心の貧しさというのは、働くと仕事の違いに似ています。西洋でもwork とlaborという言い方で単語が分かれているそうです。言われたことをちゃんとできるのが仕事に対し、言われていなくても他人のために動くのが働くということです。

毎日、自分を存在させて有用に活用してくださる組織や社會に対して、どれだけ自分が御恩返しをしているか、どれだけ自分から困っている人たちの力になれているか、そういうことを探して自分を用立てていくことがみんなで働くということなのでしょう。

社會とは本来、みんなで働けるという意味が本質のように思います。

他人の御役に立てる有難さがあるから、自分が幸せになるというのは人間は本来周りと一緒に豊かになっていくための存在であるということなのでしょう。一人で仕事ができるようになることにあまり意味を感じません、それよりも多くの人たちと働くことができるような人になることを自立といいその中で自分が役に立った実感が得られることが自己実現というのでしょう。

仕事から考える自己実現は自分勝手で我儘なものですし、それを得ても本当に周囲が幸せかどうかは微妙なものです、それよりも働くことから考えた自己実現は思いやりにあふれ自他もみんな一緒に豊かで幸せになるのが分かります。

どちらに生きるかも、その人の生き方、そして働き方次第です。子どものモデルになるような生き方働き方を見つめていきたいと思います。

  1. コメント

    時やタイミング、周りに自分を用いてもらえることを有難いと思うか、それとも自分本位でなくなるので大変と思うのか。自分の心の在り方がそのまま表れるのだと感じます。自分を変えようと思っても、すぐに変わらないことに憤りを感じますが、そんな中でも、点はありがたく機会を頂けていることを自覚し、どちらの体験もさせて頂いている今のうちに、生き方を自分本位の生き方から変えていきたいと思います。

  2. コメント

    世界中で、「死ぬまで働きたい」という人々が日本ほど多い国はないと言われます。また、黒船でやってきたペリー総督は、故国の妻に送った手紙のなかで、「日本人が、上機嫌で働く人々である」ことに驚嘆し、また「職場に父親が子どもを連れていく」ことにも驚きを隠さなかったと言います。現在の日本に、上機嫌で働いている人はどれくらいいるでしょうか。上機嫌で、そして、生涯現役で働くためには、日本人ならではの「働き方」を取り戻す必要があるのではないでしょうか。

  3. コメント

    日常を取り戻しつつある中で、ただこれまでとは何か違う体に力が入らないような感覚があります。スポーツを3日休むとあっという間に体力が落ちるように、人に対しても同じことが言えるのだと感じています。頭ではこういう時こそ人のために動く大事さを感じますが、どうも上手くいきません。頭で分かったから人のために働ける訳でないことを改めて痛感します。【●】

  4. コメント

    昨日の祖母の三回忌の法要で副住職が仰っていた御言葉から、働くことと忙しさについて新たに感じるところがありました。「林業を務める方は今使用している木が百年前に植えられたものであることを知り、また百年後のために木を植える」という例えから、祖父母への感謝を感じて生きることを教えて下さいましたが、この御話を拝聴し、自分の今の忙しさが有難くも思えました。祖父母の世代は今よりももっと厳しい時代だったのは言うまでもなく、それを思えば今もし自分が安易に暮らし、祖父母の時代と釣り合っていなければ、それは木を使い潰して後世に何も遺さない生き方なのだと感じました。働いてお役に立つというのは、現世の周りの皆様だけでなく、孫父母の世代と孫の世代の人々に対しての意味でもあるのだと思えば、忙しくて良かったと思えるような、広い視野と強さをもっと高めていきたいと思います。

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