共生とは何か

昨日、社内研修にて森林インストラクターの方から樹木の話を拝聴する機会がありました。

樹木の世界はとても奥深く、少し触れただけですが私たちよりもずっと前からこの地球に存在し、今までどのように生きてきて、今どのように生き残っているのかをお聴きすると同じいのちを持つものとして尊敬します。

今も生き残っているということは、今までの環境の変化の中で適応してきたということです。言い換えれば、今生きているのはたくさんの恩徳の御蔭様であり、またその生き物があらゆる環境下において助け合って生き残ったという証でもあるのです。

種が残るということは、後に譲っていくということであり、自分の変化そのものが子孫を守るということですからこれは本当に先祖の偉大な丹誠と徳恵をいただいたことに気づきます。

これからいくつか樹木についての発見をまとめていきますが、共生についてまず深めてみます。

例えば多くのイチジクの仲間(クワ科イチジク属)は、イチジクコバチ(類)と呼ばれる小さな蜂をポリネーター(花粉の媒介者)がいるそうです。そして、イチジクの種類ごとに異なるイチジクコバチがいて、お互いに繁殖するために共生関係を結んでいます。

お互いに進化することでお互いが進化する、イチジクが変化すればコバチも同じように進化するという関係が存在します。しかし強い共生関係は強い繁殖を産みますが、お互いのどちらかが絶滅してしまうと同時にそのペアの相手も絶滅してしまうそうです。まさに運命共同体です。

自然界はこのようにお互いが活かしあえるのならば、助け合おうとという関係はイチジクだけに限らず、多くの植物と昆虫の間にも見られます。

同時に人間と植物、人間と虫や動物との関係もあります。たとえば、ツバメと人間であったり、蜘蛛と人間であったり、稲と人間であってもそうです。お互いに長く生き残っていく中で互いに互いのことを必要としあって共生してきました。

不思議ですが、自分が生きているということは一緒にいきていた運命共同体がいたということです。その運命共同体がいなくても生きていけるように改良されたり、改造されたりしていますが、必要としなければ絶滅しますから種が減ってくるというのは互いに活かしあう関係が断裂しているともいえるのです。

自然界の絶妙な共生関係を崩してしまうのが人間だとしたら、この人間に適応するために動植物も大変な変化を強いられていることを実感しました。進化や変化は地球の気候変動に左右されるものですから、何があっても生き残れるように工夫してきた種が断絶してしまうということはそれだけ私たちが生き残る戦略も減っていくということなのかもしれません。

先祖たちはそういう大事なことを知っていて、だからこそ杜を守り育て生き物たちがたくさん生存できるような環境を遺してきたのかもしれません。環境に優しいとか色々と今は言われていますが、本来はそういう人間側の都合で語られるものではないことを直感するのがこの共生の原理です。

共生とは運命共同体のことです。

運命共同体=共生であることを決して忘れずに、どうあるべきか自分たちの生き方を見つめ直していきたいと思います。子どもたちや子孫のために、自然とご縁を結び直し絆を深め、一つでも多くの運命共同体を遺していきたいと思います。

  1. コメント

    お互いが進化しながら共生しあう関係を「共進化」というそうですが、ある意味、地球のすべてが、この「共進化」という仕組みの中に生きていると言えるでしょう。これは、個の自由は個にとどまることなく周りに影響を与え、未来をも変えてしまう大きな責任とともにあるということでもあります。特に、作為性を持つ人間に関しては、その思いやりが試されると同時に、短期的な欲望の危険性が問われるでしょう。そういう意味では、徳力も、こういった大きな仕組みを背景に、磨いていく必要があるのではないでしょうか。

  2. コメント

    共生=運命共同体と思った時、どちらも進化の結果で今があるのだと思いますが、長い未来を見たときに、双方だけでなく地球にも良いものではないと生き延びないのだろうか。と疑問に思います。しかし、地球で生きることすら視野に入れなければどこまでも人間都合で進めていくことができるのではないかとも感じます。
    しかし、どちらかの都合かどうかよりも、どうせ生きるのであれば、
    やはり相手にとっても地球にとっても、関わる人や生き物にとってもよい自分で少しでもありたいと感じます。今の生き方を見ると、まだまだ矛盾した言葉にもなりますが、心はそうあります。少しずつ、少しでも、思いを行動に変えていきたいと思います。

  3. コメント

    はじめて聞くことばかりで聞けば聞くほど疑問がわき、次から次へと疑問がわく話はとても面白いのだと感じました。テストでいい点を取ろうと思ったら必死にメモして暗記に走りそうですが、次への期待はそうさせません。赤点を取らないことはある意味必死なことですが、共生は自然界において命を掛けた戦いであることを感じます。つい手と手を取り合ってというようなことをイメージしますが、厳しい世界では何でも起こりえるのだと感じました。言葉一つとっても刷り込まれたイメージが先に先行していることに気がつきました。自然に照らしどうか、自分自身で考えることを大切にしていきたいと思います。【●】

  4. コメント

    樹木は動くことが出来ないからこそ、果物を実らせ種を他の生き物に運んでもらうという仕組みをとっているのだということは、頭ではわかっていましたが目の前の現実として考えたことはありませんでした。種ごと丸のみしてもらうことが前提の果物を人間都合で変えてしまい、それを本物だと思っているところに人間の不自然さを感じます。長い年月の気候変動よりも、この人間都合の方が遙かに脅威となることを忘れず、向き合い方を変えていきたいと思います。

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