自然明

自然と農を実践していく中で、風が様々な生きものたちに大きな影響を与えているのを実感します。

例えば、風は気温、気配、香り、水分の量、その音、そのリズム、通り抜けてきた場所の感じなど様々な情報を伝達していきます。植物はその枝や幹の肌、または葉によって風に揺られながら情報を入手していますし、動物は身体の毛を揺らしながら皮膚や匂いや呼吸を通して情報を入手します。

もともと自然の生き物たちは、風の音色をよく聴いては自然のリズムを体感しているのかもしれません。もちろん風の音色だけではなく水、火、土、石、様々に自然は音を奏でますからその音色を感受するアンテナが高いからこそ私たちのように知識を使わないともいえます。

現在は、そういう直感的に理解するものがあまり評価されない時代になっています。さも考え抜かれたもの、理論的に優れたものが価値があるかのように勘違いしてしまいます。自分がそもそも刷り込まれた知識の中にいて、その中の価値観から抜け出すことをせずに、自分だけが正しいと思い違いをしているのが人間なのかもしれません。

自然は正直で素直ですから、そのまま感受することができるのでしょう。

自然の言葉というのは、昔から職人さんたちが使う言語の中に入っていたように思います。職人さんが「あまり勉強ばかりしているとバカになってしまう」ということをよく話すのも似たようなものでしょう。

自分の中にあるものをどう引き出し、どう体得していくのかというのを自明と言います。自明とは、自らが然るがままに明らかにしていくということです。自然明ともいうのでしょうが、それは自分の中にあるものの感覚を高めていくしかありません。

それは善く気づき、善く学び、善く遊び、善く味わい、善く覚るということを続けていく中で自分の内面の奥深い自然観を高めていくことだと私は思います。

私が自然農を行う理由も自然に学ぶ理由もすべては、一度学びこんだものを如何に忘れ去るかということを大事にしているからです。一巡している学びを同時に消化しながら前に進むというのは、自らで然るがままに会得することを重んじているからかもしれません。

元来、文字がなかった時代は何から学んでいたか、言葉を使わなかったときは何から学んだか、人間は思い違いをして真実を見失っているのかもしれません。

自然には音色がありますが、人間にも音色があります。それは心や感情が研ぎ澄まされることでよりアンテナは鋭敏になっていきます。自然は風音によって伝えます、人間は言霊によって伝わります。

発信することも受信することも、それは自分の中の自然明に由るのが最善なのでしょう。

学ぶことが愉しいのは、体験できたり実践できる幸せを生きるからかもしれません。同時に学ぶ楽しさは譲る歓びですから、子どもたちに生き方が遺せる可能性があるということが幸いなのでしょう。日本の麗しい風土に恵まれ、その優美な風土に育ててもらって大人になっているのだから、御恩を忘れず自然の言霊を謳歌しながら自然明の生き方を子どもたちの傍に広げていきたいと思います。

いつも新鮮な学びは、かんながらの道の中です。

  1. コメント

    「谷川の音に、仏の声を聞く」という悟りの表現がありますが、これは、谷川の音そのものが宇宙の生命の声であり、それを感知したということでしょう。二宮翁も、「天地の書かざる経」に道を尋ねよとおっしゃっていますが、こうなると「言葉」はかえって邪魔になります。もともと「言葉」の届かない世界に、何とか「言葉」を頼りにして近づこうとすることに無理があるのであり、「言葉」で切り取って自分の理解としたがるのもおかしな発想なのかも知れません。自然をどう見るか、そこに何を聞くかということは、人間都合の発想であり、ほんとうは、何が見えるようになり、どこまで聞こえるようになったかを試されているのではないでしょうか。言葉の届かないほんとうの世界を、もっと味わえるようになりたいと思います。

  2. コメント

    「自らが然るがままに明らかにしていくということ」。本を読んでいるだけでは気付かないことがあります。そして身近なところに学ぶべきことがたくさんあることを感じています。ただ、近くてというか当たり前になってしまい気付いていない自分がいます。
    アナと雪の女王で「ありのままの♩〜」と何度も繰り返されていましたが、そのままを認める、認められることを求めているのかもしれません。明らかにしていくためにはその一歩先、自分の頭で考えることを感じています。【○】

  3. コメント

    川の水の流れる音や、静かな夜に聞こえてくる虫の音などは、まるで染み込むようにそれを受け入れることが出来るから心に響くのかもしれません。人の言葉など一度何かを意識すると途端に難しく聴くようになるのを感じます。頭を使いたがるのが人間なのかもしれませんが、あるがままにシンプルに感じられるようになっていきたいと思います。

  4. コメント

    息子が保育園に入れるようになり、様々なことが自然と流れていくことを感じる中で、自分自身の兜の緒をどのように締めればよいのか、どこを締めれば良いのか、頭で考えても中々わかりませんでしたが、動いていると感覚的にこうしたほうがよさそうだと、
    不思議と汚してはいけない価値観のようなものが自分の中に存在していることを感じました。言葉での説明が難しく、目をつぶればない存在とすることもできてしまうようにも感じます。そんな存在に畏怖を感じられている状態を大切にしていきたいと思います。

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