人間に限らず、自然界にある全てのいのちは御互いから学び合って成長していく生き物です。
周りを見ては周りの生き方を見習い、周りのもので善いと思えるものを自分に取り入れて吸収していく力があるように思います。自然は素直ですから、御互いが自分の特性を伸ばし、その特性をより活かすことに憚ることがありません。
しかし人間は、自分が正しいという価値観を持つことで善いところを吸収する力が衰えてくるように思います。人のいうことを素直に聴けなくなるのも、自分が思い込んでしまっている正しいという狭い視野と価値観に囚われてしまっているからです。
「人皆我師」という格言があります。
これは全てが師、つまりは自分が他人の話を素直に聴けるかということですが、実際はほとんどが聴き洩らしているもので聴いているようで何も聞いていないということが多々あるのです。それは相手の心や思いやりを感じようとはせずに、自分を優先しようとする我が邪魔をするからです。
人の忠告や注意を聴かない心というのは、頭で分かっているからそれは知っているから言われたくないなどと思うのでしょう。しかしそれを言って下さる方が、どんな思いで伝えてくださっているか、どんなに真心で心配してくれているかを思わないのではあまりにも自分勝手で独りよがりになってしまうのです。
そんな態度では何も学べず、そして一度そうなってしまうと、学びというものは単に自分だけのちっぽけな世界で学んだ気になっているだけで本来の自分を変革するような学びに到達することはありません。学が実学にはならないという意味です。
基本の姿勢が相手の仰っていることを相手の真心で受け止めてそのまま味わう素直な心を持つ必要があるように思います。
相手の言って下さることを本当に聴いているかは、言われたことをただやればいい意味ではなく、言われたことを言って下さる人の心を遣ればいいということなのです。
頭でっかちになってしまい心を優先しないような生き方をしていたら道場に居ても道場に居ず、実践しているようで実践していないということになりかねないのです。
心を入れるというのは、全ての基本ですがそれは心がけを決めるということです。それは論語の「己に克ち礼に復る」ということに尽きるということかもしれません。
もう一つの格言、「人のふり見てわがふり直せ」があります。
常に自分自身の姿勢を省みて、教えてくださっている真理をひとつひとつ丹誠を籠めてものにしていくときに相手への感謝が示せると思います。感謝も頭ですることではありませんから、感謝するのなら変わってみせていくのが本質的に感謝ができたということなのでしょう。
心を鍛えていくというのは、心がけを優先するということでしょうから実践を丁寧に積み上げていくことしかありません。まだまだ自分も礼に欠けるところが多く、本当に反省することばかりです。
日々の心掛けを積み上げられられることに学びを実らせ歩んでいきたいと思います。
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人の話を聞くときに、自分の都合で聞くと、いいとこ取りをし聞き分けてしまいます。また、自分の価値観で聞くと、その内容を裁いてしまいます。いずれにしても、その話をしてくれた人の好意をはじめとする価値のほとんどを受け取ることができず、結局は、話を聞く前と聞いた後に、まったく変化がありません。「学んで、覚めなければ、学ばざるに等しい」あるいは、「気質を変えるために学ぶ」と言われますが、自分の学びの検証が全然できていません。「学べば何かが変わる」のではなく、「変わることができれば学んだと言える」ということでしょう。学ぶ姿勢が甘く自分勝手なのは、学び合いの仕組みの真相とその価値がわかっていないからかもしれません。
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受け入れ難きことを相手の口から発せられると拒否したくなり、それはこんなことを言われたと解釈してしまいます。ですが本当は大切なことで、耳心地のいい言葉を並べられ変えない自分を作ることよりも遥かに大事なことなのだと思います。大事なことと分かりつつも素直に聞けていないところに、自分を優先しているところがあることを自覚します。後から振り返ったときに「あの時実に学んだと」言えるような学びをしていきたいと思います。【●】
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何のために学ぶのかを考えると、自分の価値観があっているのだと納得したくて学ぶのかや、自分の価値観の延長線上で知識を積み上げたいのか、それとも、自分の価値観を変えてでも、自分が目指すものの為に学びたいのか。という事なのだと感じてはいましたが、そもそも、その学びととらえる価値観が自分自身、とても狭い世界であったと気づきます。沢山の言葉をたくさんの方々からいただいていますが、それを学びの機会と認識しないように都合よく生きている自分がいることに気づきます。まだまだ軸足が自分に乗っているところを見つけました。一つ一つをまた楽しんでいきたいと思います。
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いただいた多くの言葉、多くの機会をどれだけ素直に受け取っているかを考えると、まだまだ感謝は感謝風にしかなっておらず、選り好みが激しいことを感じます。今回の社内木鶏で素直に聴くという姿勢を改めたいと思うと共に、言葉を発する際にしっかりと思いやりの心がそこに入っているのか、ということも意識し直したいと思いました。ただの言葉で済まさないよう注意したいと思います。