すべての物事を善悪なく包む込むように結ぶ思想に、日本の神道の和の心というものがある。
天津神と国津神というものがあり、どちらの神が優劣があるのではなくそもそも和と力をどう調合するかということが大切だと説き、如何に自然の中で永続的に発展繁栄をしていけるのかということを神々は意識したことであろうとも思う。
この国には、善も必要、悪も必要という風に、善悪を決めずに物事を大局的に捉える道の思想が根付いている。
根本原理として、万物の始祖から宇宙の理のようなものを理解し、それを実践することを徳とし和合が神の御心としその道を歩むことで悠久の流れに身を置くことを重んじている民族が大和の民であるようにも思える。
今の時勢を省みると、政治に始まり身近な周囲の競争隔絶社会にはその和合の心がどれほど実践されているのかと見ると物質的な力ばかりに囚われ不自由と孤独の中で結びや絆といった繫がりが途絶えてきているように感じる。
誰が悪いだの、誰かのせいだや、正義や悪だと騒ぎ立て、結局、太古の昔から日本人が守ってきた和の心も道も見失ってしまっているようにも感じる。
何かが悪いと決めつけたらその時点で、和にはならない。悪きところの善いところ、善きところの善きところ、その善悪の更に包み込む最善というものをどれくらい真剣に皆で取り組めるか、そこに私たちの道があるようにも思う。
身近なところでみても、問題と言われる部分をいくら解決しようとしてもそれは問題なのではなく大きな気づきへのキッカケでしかなく、そのキッカケを活かし道をまた実践することが本来のあるべき大和魂なのではないかと私は思う。
政治でも仕事でも何でも、周囲の目先の問題ばかりを解決しようとしたとしても本筋の国家の理念やビジョンに衆智が集まらなければ皆がまとまっていくはずはない。
誰か共通の敵を作り、一つにまとめようとしたって次の敵を生んでいかなければいつまでも仲良くならないのは今の世界の姿を見れば一目瞭然である。
これからの世界を譲られ創る子ども達の大人の見本として如何に今の社会の姿から和へのキッカケを与えられるかが鍵なのである。
これは、原点回帰し今点融和し、力で全て解決しようとするのではなく、和の理念の本、創始原点の天津神の真心、大和魂を呼び起こし世界へ我々からかんながらの道を示すことであろうとも思う。
この地上で国津神と呼ばれる子どもたちは、これからもずっとたくさん生まれてくる。
天皇制がどうかということではなく、その天皇が示す和の心を私たちは国造りの意義としてルールとしての道徳を自らが守る事で平和を体現することが使命でもあると今を辿れば誰の心にも自然に降りてくるもの。
良いか悪いかではなく、丸ごと善いことにしようと思いやりや譲り合い、助け合い、支え合いという社会になるように身近な環境から改善していこうと思う。
価値を感じることができるかは、結びの真心の復興からである。これは別に理屈ではないし教えではない、ただの当たり前の道の実践、道の心でのみで十分である。
この震災がキッカケになったと言われるような全ても部分も、円ごと満たされるような改善をしてみせることを誓い取り組みたい。