人生の中で、信頼できる仲間がいることほど幸せなことはありません。特に人間は群れで集団で生きていく生き物ですから、周りを信頼し助け合う豊かさで厳しい自然環境の中でも慈しみあい暮らしてこれたのです。
だからこそ人は仲間が欲しいのです。
人は独りでは何もできないのだから沢山の仲間たちと一緒に取り組むことではじめて大きなことが為せるように思います。それは多様な価値観があるからこそあらゆる事象に順応していくことができるのからです。これは人間は脳が教化されたようなもので仲間をつくるのではないということです。それは心がはじめて仲間と思えるかということだからです、そして仲間とは心から信頼し合えるということです。
人は志を観る時、その人を信頼します。なぜならその人の心が形に顕われているものが志だからです。同志というのは、志を信頼し合う者たちということでもあります。だからこそ、価値観を受け容れることができ、だからこそ深い絆を持ち合えるようにも思います。
吉田松陰に下記のような言葉が残っています。
「自分の価値観で人を責めない。一つの失敗で全て否定しない。長所を見て短所を見ない。心を見て結果を見ない。そうすれば人は必ず集まってくる。」
本当に大事なことであろうと思います。人はみんな一人では生きていけません。沢山の人達の支えや見守りに助けられてようやく一人立ちできます。自分も昔は何とか一人でやろうと無理をし責任感から強くならなければと頑張りすぎたことで間違った強さばかりを求めて孤独になってしまっていたことがあります。
人を頼るということを情けないと思い、何でも自分で遣った方がいいと信じていた時期もありました。しかし自分一人では何もできないと思うことよりも、もしも相手が自分だったならと思うともっと頼ってほしいと祈り、何でも一緒にやろうという気持ちが湧き上がってくるのです。
人は自分の弱さを受け容れることと、人の気持ちを自分のこととして思いやれることではじめて本当の意味で強く優しくなれるように思います。間違った強さと間違った優しさは、結果的に自分を苦しめるだけではなく周りとの絆も頑なに拒否し頑固に自分の価値観を通そうとする我儘につながってしまっていただけなのです。
人の価値観を受け容れるということは、はじめて思いやりを持てる人になったといっても過言ではないように思います。それは自分に都合がわるくても、その人がそう信じるなら自分も一緒に信じようとする和の心、八百万の神々を認めてきた祖神と同じ真心になっていくことかもしれません。
強くなることが優しくなることではなく、優しくなるからこそ強くなるのです。力に呑まれず心が先んじるような生き方をこれからも選んでいきたいと思います。
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松陰先生の「人が集まってくる四つの視点」をきちんと押さえておきたいと思います。まず、「自分の価値観で人を責めない。」人は、無意識のうちに、「自分のできること、やってること」で「人のできないこと、やってないこと」を裁いてしまうところがあります。人の粗探しは、結局は、隠れた自己自慢に過ぎません。次の「一つの失敗ですべてを否定しない。」すぐ人にレッテルを貼って人間像を決めつけてしまいます。三つ目の「長所を見て短所を見ない。」短所を見てしまうというより、長所と短所を相殺してしまい、長所の価値ではなく、その人の総合評価をしてしまいます。最後の「心を見て結果を見ない。」結果から、動機と目的を勝手に推察して非難しまいます。この「自分の偏った価値観」を見直すには「多様な価値観」を受け入れる必要があります。「多様な価値観」こそが、ほんとうの正しさを教えてくれるのではないでしょうか。
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この夏季実践休暇中は各々がそれぞれのテーマを持ち実践に励んでいるわけですが、そう思うと自分はちゃんと実践しているだろうかと質問が返ってきます。一人だったら報告する相手もおらず、どう過ごしても時間は過ぎていきますが、何を学んだかを伝えたいと思うと、過ごし方が変わってきているように思います。一つでも多く学び還元出来るものに変えていきたいと思います。【○】
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ふとした時に、ふとしたきっかけで仲間のことを思い出すのは、知らず知らずのうちに仲間に支えられている自分があるということなのかもしれないと感じます。今は田舎に来ていますが、この田舎という環境も、自分の心の在り方一つで善くも悪くも捉え方が変わるように思います。素直に感じられる心の状態で今日の一日を取り組みたいと思います。
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言葉が体に滲みると共に、心がそうありたいと強く叫びます。決して他人事ではなく、自らの目の前にある課題、問題だと感じます。強さを求めず優しさを求め、実践する自分でありたいです。
意識の真逆にある優しさの存在を自覚して行きたいと思います。