生物多様性とお役目

生物多様性というものがある。

身近でも、人間に害をなすものと害をなさないものとを決めてそれは虫たちでも菌類でも、その他、動植物、さらには人間にいたるまで都合の悪いものは排除するのは当たり前というような何でも便利でやろうという気風もある。

もともと生物は色々な性質を持って生きている、全体が調和するようにそれぞれに自分のお役目があり、そのお役目通りを果たそうとし自然にあわせて自分を変化させ今も生き続け努力をさせていただいている。

生きものには誰にも使命というものがあり生まれてくる、どんな生き物にも全体のための役割が存在している。それは身近な環境を通して行い、偉大な環境にまで影響を与えながら私たちは自分に与えられた道を真摯に歩むことを与えられ全体に融和しながら存在している。

人間は、人間至上主義の観方から全体がわからなくなる刷り込みや自分たちの勘違いからそういう使命を自分都合で配備してきたから最近はそういう自分の役目が何かということすら考えず、自分にとって単に目先のメリットがあるかないかでのみ選択をし生きている人も増えてきている。

このメリットも、目先しかみないからおかしなことになっていて全体に対して自分がどう使命を果たせばメリットがあるかなどということはあまり考えないからさらに狭い世界で不調和が生まれ常に裏目に出てしまうのであろうとも思う。

自分の物事の観方を変えようとはせず、いつも相手にばかり変わってほしいと願っていても狭い世界での融通でやろうとしてもそこに調和はないのである。

もしも一見、悪いと思っていたとしてもそれが全体にどのような影響を与えるのか、一見、善いと思っていたとしてもそれがまた全体にどのような影響を与えるのか、理念を観つめつつ、自らの道を祈るように歩み、更に善いことにしてみせると根気よく諦めない実践を行うことで最終的には大調和になっていくものである。

これは心が感謝で満たされていないとすぐに陥りがちな境地だけれど、つい相手をどうしようもないものや自分に悪い物だと思ってしまう自分都合の発想はさらなる拒絶と排除を広げていき最終的には自分がそのことでさらに苦しくなっていくものである。

自分から見た相手への一方的な決めつけによる役目の拒絶と隔絶をすればするほどに、この生物多様性は失われていく。

そしてより暮らしにくく住み難い世の中にしてしまう。

いつも私たち生命はどんな環境が過酷でも皆で手を取り合って役割を通じ合い皆で助け合ってきたから多様な生命は育まれてきたのである。

実は居心地の善い自分が安心できる環境とは、多様な生命や多様な個性が全て存在している自然のあるがままの姿に身を委ねているときである。

その人やその生き物が、そうしたいと思うものをそのままに残してあげることである。その時、全体に対してのお役目を果たしているという命の輝き生きる歓びをお役目によって実感できるのである。

多様性は人間が守ればいいというものではない、もっと自然にあるがままであることを思いやりみんなで助け合っていこうとそのままにさせてあげる優しさを皆が持つことである。

きっと相手にも何かのお役目があるのだろうと、思いやりを持てる自分でいることその実践こそが生物多様性であると私は思う。子どもたちにもそれぞれに使命がある、大人が育てやすいように教育したり一方的に改良したりするのはその子らしさを失わせてしまうもの。

あるがままを見守り、あるがままの先にお役目を立派に果たせるような命になってほしいと願います。

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