物事には必ず陰陽があります。
月夜半分闇夜半分、拾う神あれば捨てる神ありというように、一長一短の側面があります。
これをどう活かしていくか、これをどう吟味していくかに人生の面白さがあるように思います。色々なことを発見するのも愉しいことで、日々に気づき新しいことをやりたい気持ちは湧き上がってきます。しかし人生は一度きりで有限ですから膨大に広げてみても為し遂げられることと為し遂げられないことがあります。そんな時は取捨選択していくしかありません。
何のためにこれをやるのか、心が定まることで今何をすべきかを正すのです。
好奇心というものは、常に心を開いていますから何でも見つけてしまいます。しかし何でも見つけて何でも行っていると目的を絞り込めず注意力散漫になり一つ事に集中できなくなってしまいます。
これでは本当に成し遂げたい成果が達成しなくなるかもしれません。もっとも大事なことに絞り込み、それに集中することで人間は可能性を高めていきます。可能性を拡げることと可能性と高めること、それは拾う楽しみと捨てる苦しみ、捨てる歓びと拾う悲しみなのかもしれません。
人間には人情や我欲がありますし、そう簡単に今まで信じてきたことをご破算にしていくことはなかなかできません。如何に自分に打ち克つかというのは、如何に目的のために絞り込んで削り取っていくかということかもしれません。
PFドラッガーの「プロフェッショナルの条件」にこういう言葉が残っています。
「成果をあげる秘訣を一つだけあげるならば、それは集中である。成果をあげる人は最も重要なことから始め、しかも一度に一つのことしかしない」(ダイアモンド社より)
またこうも言います。
「成果をあげる人は、多くのことをなさなければならないこと、しかも成果をあげなければならないことを知っている。したがって自らの時間とエネルギー、組織の時間とエネルギーを一つのことに集中する。最も重要なことを最初に行うべく集中する」
なんでも遣っている方が効率がいいと思う時機から、これをやり遂げなければ効果がないと思う時機への変化というものもあるのかもしれません。そしてこれは仕事のやり方ではなく、人生の生き方の遷移が必用な時期に差し掛かったのかもしれません。
私もちょうどそういう年齢になったと自覚してきているのかもしれませんが、自分の原点が何か、真摯に取捨選択に正対しじっくり思案していこうと思います。
社會や世界に対しての自分の責任をどう果たしていくか、常に自問自答していくことを已めないでいようと思います。
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「集中のための選択」とは、「善や悪」から「善」を選ぶことではありません。「すべて善」のなかから「最善」を選ぶことであり、「どれも重要」のなかから「最重要」を選ぶことです。それは、他の「善」を捨て、多くの「重要」を捨てることでもあります。もし、その取捨選択に迷うということであれば、「そのモノサシ」では判断できないということです。使命感自体をもう一段高め、善や重要という価値観の次元を上げないといけないのでしょう。天は絶対に迷いません。迷わない価値観が、上位次元にはあるのではないでしょうか。迷う度に、高めていきたいと思います。
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より善いものを選び続けるには実践と改善が有効で、怠っているときはそれが見えないときかもしれません。少しでも前に進んでいるときちょっとしたアイデアや工夫が生まれますが、やり方ばかりに目がいくと今度は何のためが見えなくなります。実践をしているつもりでも改善が生まれない時は停滞しているサインだと気付き、何のためかを振り返る機会にしていきたいと思います。【●】
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夏季実践休暇中はなるべく大量行動を意識して動きましたが、自ら求めたことだからこそ、どれも今後に繋がる大切な体験だったと感じています。この段階あっての取捨選択、まずは行動して得たものを振り返り、自分の なすべきものを見極めて注力していきたいと思います。
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なんでもすれば1日働いた様に感じますが、目的の為に行っていなければ意味が薄れ、言い訳を自分の中で始めます。一生懸命は大切ですが、目的、大義の為に何を優先すべきかをいつも当事者意識をもって臨む姿勢を大切にして行きたいと思います。