人はその人を理解しようとするとき、一体、この人はどの方向性を目指しているのかを観ればその人の本質がわかるように思います。それくらい人は方向性というものを大事にしているということです。
もしも人生が旅だとしたら、道を歩んでいくなかで日々に様々な紆余曲折と出会います。ある時は、草むらの中を通り抜け、ある時は山をくだり、またある時は漆黒の闇の中を通れば、またある時は涼やかな風が吹き抜ける草原を通るかもしれません。
その時、その場所やその道に捉われ、自分が今どこにいるのか分からなくなってしまうかもしれません。また過去通った道がいつまでも忘れられずいつまでもその道を探してしまうのかもしれません。
しかし旅は前に進みます、それは地球が宇宙の中を回転し自転するように、すべての生命が等しく年を経て生から死へと変化するように進むことは已みません。
そうすると、同じところに留まることはできず必ず日々は通り過ぎていくのです。立ち止まってみても通り過ぎるのだから時間というのは旅をしている証拠、つまり「時は人生の旅人」ということでしょう。
その旅で自分を見失い、今いるところがわからなくなり、これからどうしていいかと迷うことは大変不安なものです。それはまるで知らない場所で迷子になったかのようになります。
人生は畢竟、今回の旅で何処まで往きたいかということを決めて誕生してきたのかもしれません。ただ道草だけをするのも愉しいのですがやっぱりここまでは往きたいと目的地をもっているのでしょう。
だからこそその目的地を定め、その目的地に向かっているかを確認することで人は方向をブレナイように歩めるように思います。人生の目的地は、単なる旅の到達点ではなくその旅のプロセスに意味があるように思います。
また旅を伴にする仲間や伴侶に出会うことで旅のプロセスは麗しく善き掛け替えのない豊かで美しい記憶になります。
それ故に皆の目指す目的地に向かうプロセスそのものである理念を定め、道の方向性が間違っていないかを常に確認することが最終的に自分が辿りつきたい場所に往くための道しるべになるのです。人生の目的地とは終わりのない旅をするのだから永遠の道中そのものであるのです。みんなで旅の往き方を定めるというのは、どうやってみんなと生きていくかを定めるということかもしれません。
そう考えて顧みてよく観ていたら神社の眷属も、熊野の八咫烏も迷わないようにと導いてくれた存在です。
その存在の有難さを実感しながら心のお守りを持ち、心の眼を開いて信念を杖に歩んでいくのが道ということなのでしょう。太古の昔からつながっている道の上を今の私たちが歩んでいるというのは「方向性」を確認しているのかもしれません。
方向性が間違わないように、常に方向を正して実践を積み上げていきたいと思います。
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道そのものには迷わなくても、決めたはずの道の歩み方に迷うことがあります。「迷い」というのは、「怠惰」の現れであり、また「不安や恐怖心」の現れではないでしょうか。結局、徹し切れないのは、信じ切れていないからかもしれません。曲がりくねった道の案内のように「相対的な道しるべ」ではなく、北極星のような「絶対的な道しるべ」をつかまないといけないのでしょう。
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仲間のこの文章を読み本当にそうだなと感じています。
「信じようと必死にしている時は、信じる気持ちが弱まっているのかもしれません。むしろ、自分自身の内省を深め、自分が『きっとよいことになる』『大丈夫』と安心して参加することを大事にしたいと思います。」気持ちに余裕があるとき道に迷っても冒険と思えるかもしれませんが、不安に駆られたら間違いなく恐怖になります。ただその時こと方向を間違うことを恐れることよりも、内省を怠っている自分がいるのだと気づきただしていきたいと思います。ありがとうございます。【●】
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自分を振り返ると「信じようとしていること」と「信じている」ことに違いがあることに気づきます。信じようとしていることよりも、いま信じていることに準じて行動は起こり、まるで道案内の標識が出ているにもかかわらず、ハンドルをそうではないところへ切るような感覚です。自分が信じていることは深層心理のように気づかない部分がありますが、それも日々の内省、お客様、クルー、家族からの様々な「声」や「結果」がサインを出してくれているのだと気づきます。
自分の本質は「信じている」ことの中にあるのだとすれば、
自分の方向性を変えることや、目標の為に歩むには、
「目標を信じる」ことだけではなく「今信じていること」をよく見て、不信の部分を変えていきたいと思います。
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理念・信念という心の中の御守りは、ブレそうになったり道を踏外しそうになった時に大切なことを思い返させてくれています。過去や過ぎ去った今ではなく、在りたい姿や到達したい未来の方を信じることが大切なのだと感じています。大きな見守りの中にあり、信じて頂けているからこそ、目の前の一つ一つに感謝をもって歩んでいきたいと思います。