昨日、神崎にある藤崎農園で稲刈りの実践を拝見しお手伝いをさせていただく機会をいただきました。自然耕といって自然に沿ったお米作りを実践しつつ、今の時代のニーズや制度、市場に合わせて最高品質のお米を提供しています。
今まで自然農法と時代のニーズを如何にマッチングするか、以前、致知出版社の「致知」で虎屋の記事を読んだことを思い出しました。そこでは美味しいお菓子という経営理念とともにお客様に喜んでもらえるようにするということを書いてあったと思います。
この藤崎農園も、本物のおいしいお米と、如何にお客様に喜んでもらえるかということをテーマに改良改善を繰り返し、見事に温故知新と調和した御仕事をしているのを拝見し大変感動しました。
美味しいお米というのは、感動するお米だそうで如何に感動するお米にするかを改善を今なお追求するのを貫徹されております。同時に、どのようにしてお客様を喜ばせることができるかに全く一切の手抜きもなく、あくなき探究をし続けておられます。
それは訪問時のホスピタリティの質の高さ、また暖かいおもてなしにいつも実感しています。不易と流行というものを実感させていただくことができる素晴らしい一日になりました。私たちのミマモリングも、ここから学びしっかりと吸収していきたいと真摯に気を引き締めたいと思いました。
私たちは世の中を変革しようとしていますが、その世の中に活かされているのも事実です。世の中は敵味方ではなく、世の中の中に一緒に暮らす仲間なのだからどれだけ自分が好循環を生み出せるかというのが社會貢献でもあります。共生するから貢献するのですが、貢献してはじめて共生しているともいえるのです。
共生も貢献も、悪循環と好循環があるものです。
如何に自分が社會に好循環を生み出せるかに、未来の人たちへの推譲があるように思います。時代に合わせながらも本質を守り、自己変革と創意工夫という両輪が正しく回転していくことが大切だということを学び直した気持ちです。
今、現実に生きているのですから自分の生をどう使うかはとても大事なテーマです。その時代と一体になるというのは、時代の変化に対して順応しつつも、時代の変化の中でも本物本質を追求し続けているということです。
あの不易と流行を説いたのは松尾芭蕉ですが、その時代に為したことと生き方が今の時代の私たちの時代と生き方を創っています。時間をかけて時代は練り上がってくるものですが、その時代を真摯に改善し改良した人たちの御蔭様で私たちは本物を知ることができています。
本物を守り抜くこととと人間を仕合せにすることは常に一円融合し調和しなければならないということです。
特に私たちの御米は祖神、神話の天照大御神が与えてくださった大切な主食です。守りたいもの守り抜くもの、その守の御蔭様にある真心を澄ませ続けて継承継続できる世の中を育て守りたいと思います。
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つい最近まで蝉の鳴き声が聞こえていましたが、鈴虫がもう鳴き始めていることに気付き季節が移りゆくのを感じています。普段虫を意識することがない日々を送っているからかカエルやバッタなどを見て、虫と一括りに見ている自分がいることに気がつきました。
今の生活から「不易」とは「流行」とはと考えると、若いから今に生きているから流行を知っている訳でも、本で学んだからといって不易が分かる訳でもないことを感じています。先日、立石寺で松尾芭蕉に会い、今回は藤崎さんの元でお会いしました。分からずとも体験して感じたことを大事にしていきたいと思います。【○】
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「創造的たろうとして、脇道にそれてはならない。通常なされていることを観察し、それをより良くしようと努力すればそれでよい」これは、建築家アントニ・ガウディの言葉です。「共生のなかで貢献する」ためには、現実の中でしっかり現実と向き合うことが必要でしょう。また、その貢献が、一時的なものではなく、いのちの好循環を生み出すものでなければなりません。失ってはいけないものを見抜き、脇道にそれないようにしたいと思います。
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本物をやろうとすると、時代に合わせて大変な工夫が必要なのだ、そして、時代に合わせなければ本物も誰も時代の人々は真似ず、広がらず、本物が廃れたり一部のものになってしまうのだと感じました。保育も本物をしようとすると、やはり時代に合わせなければならず、その工夫や環境にカグヤの役割があるのだと感じます。誰もが真似て見たいと思える仕組みが安心感となるように楽しみながら歩みたいと思います。
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悪循環も好循環もそのまま循環させていては変化がなく、いかに自分の身を通して好循環に変えていくかが大切なのだと感じます。ものごとも捉え方次第で善くも悪くもなることを思うと、一円観の考え方がとても大切に思います。好循環の中にある意識を大切にしたいと思います。