生態系を深めていると、確かにそこに自然の理を感じます。見えるものから見えないものまですべての生態系はある一定のリズムによって生き死にしますが、そこには自然の響き合い(共振共鳴)の音を感じ取っているように思うのです。
虫が鳴くのも鳥が鳴くのも、また木々や稲、野菜らが風に舞い揺れ動くのもそこには確かに「ヒビキ」があります。ヒビキとは共振共鳴であると定義していますが、それは自然の中にある音に合わせていのちや心を響かせています。そして万物は象容した音のつながりの中のご縁にゆられ響き合います。
自然に沿っていのちを育むということが音にゆられ愉しむということです、人生を謳歌するということです。どうしても抽象的な言葉になってしまいますが、理屈ではなく生態系というものがそのまま共生の響き合いだからです。
生き物たちはすべてそのいのちの音ともいうべきものを聴いています。私たちは耳を言葉を聞きわけるように発達させてきましたが、言葉がなく言霊であった原始の時代は私たちはいのちの音を聴き分けていたのです。
それは心の音色とも言います。
人が共感したり受容したりすれば認め合う世界が産まれます。その世界の音というのは心の通わせ合いにより産まれる仕合せの世界です。人は心が満たされることで平和になります。自然界というのはその平和の音を聴いているのです。お互いが認め合い育ちあう、それが共振共鳴共生ですがそれを私は「ヒビキ」であると確信します。
人は人工的に人間都合で塗り固められた世界に居すぎると心が疲れていくものです。それを癒し、本来の地球の一部、宇宙と一体になった人間であることを自覚することでバランスを取るように思うのです。
温故知新の比率は常に3対2、地球の海と陸の比率も3対2です。その3対2というのは、いのちや心の世界に生きながら、この時代の現実の中に生きるというバランス(調和)です。バランスこそが永続発展する自然の理であるのはいのちを深めれば必ず出会う智慧であり法理です。
バランスが崩れるとは何か、それをちゃんと自覚している人は少ないように思います。それは例えば、太陽が微妙なバランスで燃え続けるように、地球が微妙なバランスで呼吸するように、常に前向きに傾くのです。前向きとは先ほどの3対2なのです、七転び八起きがバランス感覚ということです。生生発展、永続繁栄、つまり七回転じれば八(無限)ということです。これは少し楽観的あることの方がいいということに似ています。楽観と悲観も3対2で少し楽観が優っている方が仕合せで愉しいのです。
豊かさもまた、心が3で物質が2の方が愉しくなるのです。私たちが如何に楽観的に生きていくのが仕合せかは、生態系そのもののいのちを眺めれば観えてきます。
子ども第一主義の学びは、突然にいつも自然に私の心にシンクロニシティを呼び覚まします。お仕事と使命とはいえ、有難いご縁に深く感謝します。
いのちの「ヒビキ」の中にある真理法理を一円観に照らして自然の摂理を現代の技術の最先端に温故知新し救命救済の道具を発掘して人々へ還元していきたいと思います。
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音は、「人間に聞こえるもの」だけではありません。イルカや犬にしか聞こえない超音波のようなものもあれば、「地球の鼓動」と呼ばれる、地球に存在しているすべての生物が心地よく感じる波動も存在すると聞きます。もし、それらのすべてを聴くことができれば、きっとこの地球は、神秘的なシンフォニーを奏でていることでしょう。それを、人間が「雑音」を出して、壊しているのではないかと心配になります。また、恨みや憎しみ、怒りといった悪しき想念波動にも気をつけたいものです。
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以前、とある島へ行ったとき最近は子どもたちが音楽を聞くためにイヤホンをしている。周りには波の音も、鳥の声、虫の声も自然の声が聞こえるのに何で耳を塞いでしまうのだろうと仰っていました。街中や電車の中を見ても多くの人が好きな時に好きな音楽を聞き、それは嬉しく楽しいことで私も好きなことの一つですが、どんな音が聞こえるのか探すのも楽しいかもしれません。五感の一つを自ら遮らずこの季節を味わいたいと思います。【●】
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物理的に聴こえる音だけでなく、心と心の呼応が織り成す音に耳を傾ける。そんなことを考えたことがありませんでした。自然と向き合うとき、仲間と一緒に何かに打ち込むとき、ある極限で自然からの声のようなものが聴こえたり、仲間の考えが手に取るように伝わってきたりという経験もお互いの心が奏でる音が和音に響いたからかもしれません。まずはその世界を自覚し、もっと周りの心に寄り添える自分でありたいと思います。
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鳥などがどのように意志疎通しているのか、鳴き声に細かい違いがあるのかなど、子どもの頃は色々と不思議に思ったものでしたが、そもそも自分を基準にして考えていれば分かるはずもなく、それは人間同士の関係でも同じことなのかもしれません。今回のブログから、何となく現代人が動物園の動物たちのような気がしてなりませんでした。限られた環境の中で生れ落ちれば本来が何かさえ忘れてしまいます。いのちを謳歌することを自ら体得し子どもたちに譲っていくため、まずは枠の存在に気付くことから始めていきたいと思います。