人は過去に自分の価値を守ってきたか、守られたことで今の自分の価値に出逢えているというものがある。
人は何か、外見上の何かを持っているか持っていないかなどで成功しているかどうかなどを判断するけれど実際はそういうものはたいした価値があるわけではない。
どんな生き方をしてきたか、どんな生き方をしているか、どんな生き方をしようとしているか、その生きている証そのもののがその人の存在価値を見出し、それを尊重しているのである。
存在価値とは、自分の本来の人生の目的や役割のことでもある。
私たちも今までずっとそのために何度もくじけそうになったり、諦めそうになったり失敗したりと苦しんだはずである。しかしそのたびに、何かの言葉や何かのシーン、周囲の思いやりによって何とか踏みとどまり自分を保つことができたから自分を維持しているのである。
私も過去に自分を見失い、人生の岐路にたったとき、師の生き方に触れて自分というものを取り戻すことができたからこそ今が在る。さらにその生き方に直に触れることで共感し、私の人生の生きざまをどうあるべきかを学びその生きる道を示していただいたことで今の価値に辿り着いているのである。
人は常に自分の生き方や生きざまこそが価値であり、そういうものをどれだけ自分が大切にするか、そして周囲が理解してくださるか、その自分らしく生きることの偉大な自然の見守りの中ではじめて自らを安心立命させていけるのであろうとも思う。
自分らしく生きたいと思っている人はたくさんいるし相談もたくさんうける。
他人から与えられた人生や、自分で決めない人生は、自分らしくではなく誰からしくになってしまう。その人生から脱却するには自分の人生に責任を持つこと、つまりは自分の生き方を決めて実践することが自分らしくなのである。
人間は、皆で生き方を大事にしようとすることが、皆で価値を守る事であり、皆がそうししていれば即ち世直しなのである。
今の時代は生き方というものに真摯に向き合っている人はとても少ないように思う。画一化された都合のよい便利な社内の中で、流された方が楽な生き方なのかもしれない。
しかし、自分らしくなくなるということは生き方を生きれないのである。それでは自分の価値を自分で守ることもできないことになる、つまりは生きている実感、命の輝きを感じられなくなるのである。
子どもたちがいつも命キラキラと自分らしく生きてほしいと願うように、まずは自分が価値を守れるような生き方を見つめることである。
今この瞬間が、自分らしく生きている証そのもの。
だからこそ生きている以上、自らの生き方や生きざまを貫くことに自らが誇りを持って歩んでいけるようこれからも多くの人々を自分の実践を示すことで見守っていきたい。
感謝