経済活動の分類に、第一次産業、第二次産業、第三次産業というものがあります。
第一次産業とは、自然を用いてそれを産業にしたものです。たとえば、農業、林業、水産業などです。そして第二次産業とは人が加工したもの、機械でつくりあげた人工物を中心にした産業です。 これは鉱業、建設業、製造業などを言います。そして第三次産業とは第一次にも第二次でもない産業でサービス業などを指します。具体的には、商業、運輸通信業、サービス業などです。
これは今ある枠組みの中の産業の構図ですが実際はここに当てはまらない産業というものがあるはずです。将来的にその産業が盛んになるなら第4次産業や第5次産業など、発展してくるように思います。
産業の構図というものは、枠組みですからそこのどこにも当てはまらない産業をどのように理解していけばいいかということがあると思います。
例えば私たちの会社は何のジャンルになるのかとよく聴かれますがこのどこにも当てはまらないところでお仕事をさせていています。自然物に沿い、形になるものを用い、形のない意識を扱い、真理に従い人々を応援するという具合です。
こうなってくると、自分たちで新しい枠組みを用意しなければ外部へやっていることが伝わらないのです。
次代の変わり目や価値観が多様化した現代においては、枠組みというのが自由な生成発展の邪魔になるように思います。ありとあらゆることが、細分化されたものが一巡目を終了し、2巡目に入るということは、分かれていたものをもう一度ここで融合し直すことに似ています。
それは創造と破壊、秩序と混沌ではないですが、「原点回帰」するということです。
私の予測では、この先の産業とは原点回帰産業ではないかと思います。経済の立て直しといっても、心があっての経済ですからもう一度ここで心の原点回帰が必要ではないかと実感するのです。
企業が心の原点回帰をしていく中で、真理に目覚め真理を応援するならば必ず社會は経済は好循環をはじめます。その好循環を産み出す企業こそがこれからの新たな産業を切り開いていくと私は確信するのです。
私たちが目指す理想も、日々の実践も、それは世の中に好循環を産み出したいからです。本来の自分たちの生き方そのものが働き方になるのは、そこに確かな真理を応援して子どもたちの周りにいる人たちに勇気を与えるような存在になりたいからです。
子ども心にかっこいい生き方をしたいと念じていましたが、その舞台やステージが今、此処です。巡ってきた機会を有難く受け止めて、既存の枠組みにとらわれずに常に時代の本質を貫いていきたいと思います。
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二十世紀は、いろいろなものを細分化しバラバラにしてしまいました。その結果、専門化は進み、進歩したように見えましたが、同時に、本質を見失い、つながりを忘れ、循環といういのちのあり方がわからなくなって、進歩と言えるかどうかわからなくなりました。そういう意味でも、「原点に戻る」ということがすべてにおいて必要となるでしょう。特に、人の心を中心に置き、心の原点から仕事や社会をとらえ直すという「ものの順序を間違わない」ということが重要になってくるのではないでしょうか。
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第一次産業から二、三と来て構図を見るとそういうものかと見てしまいますが、発展してきた背景を考えないとただ枠としてしか気付きません。今後何が発展していきそうなのか予測すること、今どこに位置づけているのかを考えることもまた必要なことなのだと感じます。ただ、今取り組んでいることが難しく感じるのはそもそも枠にはまるようなことではなく、新しいことへの挑戦だと思うと難しさも楽しめてきます。難しい=出来ないではなく、そもそもに立ち返るいい機会としていきたいと思います。【○】
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産業、何を産み出すのかと考えると、もう一度価値を見いだすことのようにも思えます。本当は一番大切だったのに忘れてしまったもの無くしてしまったもの、それらの価値の再発見が必要なように感じます。人を誉めるのもその人の価値の再発見、発酵していく生き方も常に価値の再発見、一円観で善いものとして受け取り周囲へと還元出来る人になっていきたいと思います。
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真理は分かるけど出来ないと良く聴きます。
頭で理解しても、現実の変え方が分からないと聴きます。私自身も同じですが、習慣や日々の仕事が変わると新しく見えてくるものがあります。
一円対話は真理を頭で理解してもらうものではなく、体感してもらうものではないかと改めて感じました。だからこそ、継続しないと体感が薄れ、頭に持って行かれるように感じます。一円対話で体感した真理を、日々の仕事の取り組みに入れていくこと。新たな習慣に書き換えて行きたいと思います。