人間は誰でも自分のことを分かってほしいと思っているものです。人が一人以上で生活する場にいるのは、自分を確かめたいからかもしれません。自分というものを認識するには、他の誰かがいなければならないからです。
不思議なことですが自分のことばかり考える人が増えている中で、本来は社會や周囲の人たちに依存して存在しているのだからもっと他人とか自分とか分けずに周囲へ関心や思いやりを持たなければ本当の自分のことなどわかるはずはないのです。
自分を知りたいのならば、もっと自分の保身を思い悩むよりは周りの人たちのことをもっと思いやった方がその中で本当の自分に出会うように思います。
その自分と他人ですが、分かってほしいと思うばかり人は相手に多くを求めるようになります。求める人というのはいつもイライラしているからすぐにわかります。相手が自分の思った通りにならなかったり、自分はここまでしているのに相手はわかってくれないとか、求め過ぎることで人間関係は不仲になっていくのです。
不仲というのは、本来、与えてくださっていることに感謝しているのではなく不足や不満不平を並べてはなぜ求めているのに伝わらないのかと文句が出ているのです。素直になれば相手にも伝わりますが素直にならないで斜に構えているからその分が伝わらなくなりかえってまた求め過ぎるという悪循環になっていきます。
よく考えてみたら、十分過ぎるほどにいただいているものが多い世の中です。誰かと比較さえしなければ、自分はあらゆるものを与えられていると実感するものです。それは心の力であったり、愛であったり、目には見えないけれど本当に沢山のものを感じる力があります。
その感じる力でもっとご縁を味わい尽くしていけば自ずからいただいている自分とのめぐりあわせや機会、この今のご縁の本当の素晴らしさに深く感謝できるようになると私は思うのです。
そういったものを如何にたくさん育てていくかが、素直になるということなのでしょう。素直になっていけば、自ずから感謝している自分でいたいと思うものです。自然体の思いやりある子どものようにいれるものです。自分の心を見つめていくというのは、素直になることであり成長するということです。
成長とは素直さです。
人生の中で如何に素直であり続けられるかが、成長し続けられるかということですから自然に学ぶ心をもって思いやりや真心を通じ合わせていけるように対話を大切にわかり合っていきたいと思います。
人間でいるということの仕合せを噛みしめつつ、歩んでいきたいと思います。
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「相手に求める」「相手に期待する」というのは、何らかの「見返り」を求める気持ちや「焦り」の感情が入っているのではないでしょうか。それが得られないとがっかりしたり、腹が立つようでは、やはりまだまだ不自然な感情であり、その求め方に、自我や不安が投影されているのでしょう。自然と「楽しみに待てる」ときは、ほんとうに穏やかで豊かです。見返りを求めて奪いにいってしまうのは、まだ、与えられているものがきちんと受け取れていないからかもしれません。
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「素直な人ほど成長する」とよく聞きますが、自分は全然そうでないと感じます。ここまでやったと相手に求め、もっと深く聞くべきことも聞かず思い返すときりがありませんが、気付いた言動その一つでも次に活かすものとしていきたいと思います。【●】
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ここまでいったら満足しよう、感謝に切り替えよう。という考えでいた自分を思い出します。
しかし、今も無意識にそうなっている事が、振り返ればたくさんあります。自分の強欲さに気付くと共にまだまだ感謝の状態には程遠いと感じます。それでも、以前と違うのは、こうあるべき、という価値観ではなく、こうなりたい、という憧れを持っている事だと思います。そう思えるのも、周りの皆さんがそれを実践しているから、目指しているから勇気や希望を与えて頂いているんだと思います。好循環の和を大切にしたいと思います。
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他人への思いやりが優先出来ている時と出来ていない時があるというのは、根本は自分都合で生きているという事なのだと思います。何時でも思いやりを優先出来るよう、少しでも与える側になれるよう意識を変えていきたいと思います。