人は理性と感情というものがあり、上手に付き合うことで人生の妙味を楽しんでいくことができる。
しかし、実際の社会ではそうではなく感情に振り回され自分の殻に引き籠って困窮している人たちがとても多い。
もともと感情があるから色々なことに気づくことができる。
感情の喜怒哀楽を味わうことは、その人生の旅路をワクワクさせその旅路に豊かな思い出を残していくことができるもの。
人はそういう感情同士のぶつかり合いやせめぎ合いがあるから自分というものを創りあげていくことができる。先人たちも同じように自らを修めて生きてきたのは常である。
だからこそ世間というものが正しいと思えば、次第にその感情も静まりそのうちに気づいてあれは間違いだったや勘違いだったと気づくものである。
時間が解決するというのは、冷静になることができるからでもある。
自分の感情の中に引き籠った状況で、何かを判断するということはできないのはそういう感情の中にいるのは自分を味わう場所だからである。
全体最適というのは、全体の中で自分が一体どうあることがもっとも貢献できるのかを考える事である。
社会とは、ある一定のルールの中で存在しているから成り立つのである。一人以上の人間が、生き方というルールを示し、それを守るからそこに一つの社会が存在する。
つまりお互いに決めた約束を守れば、そこに一つの社会がある。
それを破れば、そこに一つの社会問題が発生するということでもある。
人は自分の生き方や自分と約束したことを守ることで社会の一員として周囲と共生していくことができるもの。
そしてそれを維持するのは貢献という、御互いに役に立つからそうしようとしているのである。社会が道徳と倫理によってはじめて調和し平和が保てるのは一人一人の生き方をどう自立させるかによる。
今の社会問題は、一人一人の自立というものの認識にかなりの勘違いがあるからでもあると私は思う。そういうものを正していくためにも、理性と感情だけではなく様々なものと上手にバランスをとって付き合っていこうと思う。