真の志士

先日、千葉の館山でクラムアートをする福田康孝さんの指導のもと貝磨きを体験することができました。貝に文字を刻み、その貝を紙やすりで磨きピカピカにするのです。どれもはじめての経験で、とても新鮮で磨くことの仕合せを実感することができました。

この方は、17年間貝磨きのお仕事をされ1万人以上の子どもたちと一緒に貝磨きをされたそうです。貝と出会う素晴らしさを人々に伝えたいという願いと実践が実を結び、私も御蔭様で貝と出会うことができました。

人のご縁というものは、観えている人には観えていて心ひとつの感じ方によってその縁を活かすことができるように思えます。ご縁を活かすというのは、ご縁の感じ方ですからどれくらい自分の生き方が一期一会になっているかということが大切だということなのでしょう。

今回の体験から貝ということと磨くということを一円融合し、「磨くことで貝が光る、そして一緒に輝き続ける」という哲学のようなものを感じました。道中、朋友と歩む中でともに磨き合い光り続ける仲間が世界には沢山いるという実感、それだけで如何に仕合せなことかを感じるのです。

「真の志士とは自分の代のみの夢に生きるのではなく千年の夢に生きる」(藍杜静海)

自代では伝わらないほどの偉大な夢は、その代の人たちには簡単に分からなくっても、必ず何百年か後にその志を継承しそれを高めて遺していく人がいるものです。

歴史はもっとも私たちを磨く砥石です。その歴史が証明する磨き方をするのが真の志士だと実感しました。色々な方々との出会いに恵まれ、私自身も沢山の勇気をいただけます。

最後にこの方の出会いのキッカケになった貝の声をご紹介したいと思います。

『貝の声物語

ワタシはヒトリ、ポツンと海に産まれました。

命(あるじ)を守り通すことに一生のすべてを捧げてきました。

ある日、あるじはソラの海へ還っていきました。

ワタシは長い長い間、ヒトリ海の底を旅したあと

幸運にも浜辺にたどり着くことができました。

もし、アナタが新しいいのちになってくださるのなら、

ワタシのすべてをアナタに一途に。』

ご縁は海の広がりと深さの中で広がり沈みまた循環をはじめるようです。

ありがとうございました。

 

  1. コメント

    これまで「積む」ことを意識していましたが「磨く」は、力の入れ方も意識も感覚的ではありますが大きな違いを感じています。「磨く・磨ぐ」ことが日常生活の中であるだろうかと考えるとお米を研ぐくらいしか思い浮かばず、動作も限定的で意識していないことに気付きます。一昔前はきっと包丁や農具など当たり前に磨ぎ、磨ぐべきは自分だと振り返る機会にもなっていたように思います。磨いたり研いだり、他にもきっと本来するべきことがどんどん廃れ、振り返る機会を逸しているように思えてなりません。簡単便利になった背景にはきっと何らかの機会を逃しているのではないか、その視点も大事にしていきたいと思います。【●】

  2. コメント

    いつも、時代を変えてきたのは少数の人たちです。同時代には理解されなくても、歴史のなかで長い年月をかけ検証された正しさが、人類の智慧となってきました。自分の命だけでなく、家族や一族までも犠牲にして、それでも「信念に生きた人たち」のお蔭で、今日があることを深く感謝したいと思います。自分や自分の人生など最初から眼中になく、ただ「役割」として使命を果たされたのでしょう。無難な人生のために、多数派に紛れて生きるような生き方はしたくありません。信念をしっかり磨いていきたいと思います。

  3. コメント

    日曜日に娘と漆喰の球を磨き上げるワークショップに参加しました。ザラザラとした球を小さなおちょこひとつで、キラキラに輝き、光る球が出来上がった時、かけた時間の意味を感じました。
    1,000回、10,000回と磨き上げる事が、鍛錬なのだと感じました。磨きを怠ればすぐに錆びることを実感したばかりだからこそ、磨くことを大切にして行きたいと思います。

  4. コメント

    情報共有で聴かせていただいたお話からは、貝や磨くという内容よりも福田さんの大切にしている思いや生き方が伝わってきたように思います。何を話すかではなく何を伝えるか、その思いをどれだけ大切にしているかを生き方から行っていきたいと思います。

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