世間では自分らしさとは何かと悩む人たちがいます。周りの中の自分がどのような存在で何に役に立っているのか、一斉画一化された社會の中でわからなくなってしまうのかもしれません。
しかし本来の「自分らしさ」はどのように発見できるのか、そこには主体的な「挑戦」があってはじめて気づけるものです。
つまり挑戦こそが自分らしさといえるのでしょう。
どんなことでも挑戦すれば自分が何をしたがっているのかに気づく機会を得られます。小さな勇気を絞り出して挑戦するたびに、その挑戦のさなかに自分の本心や「やりたい」と思っている自分自身の心の一端に触れることができるのです。
今の時代は失敗を恐れて無難に生きようとする周りの大人が多い時代だといわれています。損得だけの判断基準でいえば、挑戦することの方が損だということにもなるのでしょう。それに日本は島国特有の柵や保守が強いですから余計に挑戦することを嫌う風潮があります。さらにテレビであげあしをとるようなニュースをマスコミが煽るのもまたその恐怖感を倍増させているのかもしれません。
しかしそれでは次第に誰も挑戦をしなくなっていき、挑戦をしないから自分らしさが消失してくるのです。人は自分に出会い続けるためにも自分探しとか言う前に、自分らしさが必要です。自分らしさというのは挑戦した数だけ自分らしいということですから自分を探す暇があるなら一つでも小さなことでも挑戦し続ける方がいいのです。
自立している人や自由な人、自信がある人はその背景に挑戦し続けている実績を持っています。実績があるから自由であり自立であり自信になっているのです。
「挑戦なくして自分らしさはない」という理由はそういう意味です。
見た目だけコーティングしても、中身がないのではそれでは自信など持てません。見せかけばかりを整えるのではなく、ちゃんと向き合って自分を磨き、中身を創っていくのも自分自身ですから日々に挑戦を続けていくことがもっとも自分と人格を高めていく方法なのでしょう。
自分らしさが発揮されるよう挑戦を已まないで学び続けて実績を積み上げていきたいと思います。
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「自分らしさ」とは、「何ができるか」ということよりも、「何に興味関心があり、何が好きで、何に魂がうずくか」ということではないかと思います。それは、結局、自分自身の「傾向性」と「可能性」を現していて、その「自分らしさ」を知るために、私たちは生まれ、それを開発するために生きているのではないでしょうか。そのためには、「今世の人生に挑戦する」必要があります。それは、時どき挑戦するというようなものではありません。毎日、挑戦し続けるということが、「自分の人生を生きる」ということになるのではないでしょうか。
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スポーツ選手が輝いてみえるのは、勝負の世界・結果が全てですが裏付けするほどの挑戦をし続けているからなのだと感じます。特に同世代の活躍が目立ち分野は違えど観ていてやはり刺激になります。挑戦というと何か大きな壁に挑むようなイメージもありますが、それよりも日々起きる些細なことを乗り越えることも挑戦なのかもしれません。やれば出来るやらないだけと怠けそうになる自分もいます。活躍する場所も時機も異なるのかもしれませんが、日々積み重ね磨いていきたいと思います。【●】
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中身を磨くことが、挑戦なのだと感じました。研ぐと言っても包丁シャープナーの様に簡単便利にやるのでは、電気カンナと同じで使用者は磨かれないからこそ、しっかり砥石で研ぐ必要があるのだと感じました。丁度今、我が家の包丁達のメンテナンスを砥石に切り替えようと、砥石を手に入れました。これから、身の回りの手入れを通して磨くことを大切にして行きたいと思います。
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自分さがしの旅に出る若者たちが多いと聞きますが、それはある意味では主体を発揮出来なかった抑制された人々の心の発露のように感じます。早期教育によってさらに主体的な挑戦の機会が子どもから減っていけば尚更そうなるのかもしれません。親として大人として自らがやるという姿勢を大切にしていきたいと思います。