自然の一部

一つの思いを形にしていくのに、心を一つにしていくというものがある。

それぞれがバラバラに取り組んでいることを、同じ目的の本に心を重ねあわせていく中で次第に輪ができてくるように円熟し、竟にはそのものになっていくというようなものである。

同じ目的と人生の意味を等しく実感し、一つの価値に根ざせば世界は広しと雖もすぐ身近な同志たちに出逢うことができるもの。

一期一会を通して自分たちが一部で全体であることに感動し、一人ではないことを実感するのであろうとも思う。

まさに朋遠方より来るなのである。

そして日々の仕事を通じて、自分の生き方を見つめ、日々を通して、自分の実践を省みる。こういった日々の積み重ねの中にこそ、はじめて答えを生きることができ心豊かに貢献を楽しむことができるのであろうとも思う。

人は自然に出会うことにより、新たなものにいつも目覚めていく。

それは根源的な自分であったり、本源的な真理であったり、ワクワクドキドキと生活を営み繋がりを求めていきながら日々に対話するのは自然の一部であるからでもある。

自然の一部として、自分自身が描く自分の姿が本当に素直なままかどうかというのは世間を信じるということからはじまっている。

自然なのだから世間は正しいことが大前提での素直さや謙虚さである。
今の時代の流れを紐解けば、精神的にも生活的にもすべて熟してきている。

だからこそ自然の一部としての自分ということを再構築・再定義しなおし、心も気持ちも世界の覚者に合わせていき自分の場所で真摯に実践していくことだと私は思う。

自分が与えられた環境は、自分の人生にとってとても重要な意味を持つ。
どんなことをやるかよりも、どんな自分があるからやりきるのである。

私たちが実践する積み重ねの上に、子どもたちの命が生きていることを忘れてはいけない。私たちには、今までそうだったように、様々な体験を真摯に学び消化しつつ信を醸成し、今を生き切り、今を生き抜く使命があるのである。

何よりも怠らず油断せず、そして精進し、日々の営みに命を吹き込み続けていこうと思います。

  1. コメント

    「どんな自分であるか(自らに与えられた場所での使命を)やりきるのである」に
    勇氣づけられます。
    一燈照隅とはまさにこのことですね。

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