自分の心の状態次第で視野というものが変わってきます。自分が満たされていない時や自分が不安なときは知らず知らずに視野は狭くなってくるものです。本来満たされないから満たすのではなく、満たされているから満たせるのですが謙虚さや素直さがなくなってくるとすぐに求めはじめます。そうなると心が観ている世界よりも現実の世界だけしか見えなくなります。
例えば、問題ということの考え方があります。視野が狭く余裕がないときは、早く問題を解決したいことばかりに捉われるものです。そうなると問題そのものよりも解決したいとばかりに躍起になりますから問題を正しく見つめることができません。一時的に解決したと喜んでもすぐにまた同じ問題にひっかかります。対処療法ではないですが、その時だけの問題を解決しても根源治療にはなりません。
もしも心にゆとりがあり、視野が広いなら問題というものを見つめようとします。私の言葉ではよく問題を味わいましょうという言葉になりますがその問題そのものを観察しそれをじっくりと味わってみようという観点を持てます。そうすると問題の本質が次第に観えてきますからすぐに解決することよりも問題をどう学びに転じようかと味わい楽しんでいくことができます。そうなると問題そのものが解決になりますから問題がなくなってしまうのです。
このように問題は解決するのではなく味わうことで視野を広げるのです。つまりは視野が広いというのは問題をなくす方法ともいえます。日々の仕事や取り組みの中で如何に解決解決と考えるのではなく、一度しかない人生の中で出会う様々なご縁に対し、そのご縁を味わい学び活かしていきたいと生きることで丸ごと問題は全て善いことになるということです。
そのためには理念が必要です。
何のために自分が生きるのか、何のために働くのか、つまりは自分がどう生きるのかという「生き方」を定め、常にそこから考える習慣を持つ必要があります。生き方が定まっていないとすぐに自分の判断を目先の問題からなんとかしようと思ってしまいます。生き方が決まっているなら、どうするかではなくどうありたいかと自分の初心を取り戻したところで判断できるからです。
どうありたいかと思うとき、現実の問題よりも自分の問題が現れます。人生は常に自分自身の問題ですから自分との問答に於いて信念をもって生きていくしかないのでしょう。この信念を助けてくださるのが人生の御守ともいえる理念です。
心に理念を持つことは、人生に御守を持つことです。
一度しかない人生で後悔しないように、自分が何を優先しているのかを忘れないように日々理念を御守にし生き切っていきたいと思います。
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「問題」は悪いことであり、「問題がないこと」を理想とする人は、「問題」が生じると、すぐに解決し、少しでも早く消し去ろうとします。しかし、「問題」というものは、「意味があって」起き、「必要があって」生じているものです。自分に必要な「課題」が現れているという認識が必要です。したがって、その「問題」が伝えたい「メッセージ」を受け取らない限りは、「問題」を解決したことにはなりません。そう考えると、「問題解決」には、「問題の受け入れ」が必要です。受け入れて、「自分の人生の課題」と向き合うことが、自分の人生の意味を知ることに繋がるのだと思っています。
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年が明けるたびに母から神社でお授けしたお守りを今でも手渡されます。いつも持ち歩く鞄に入れていますが、事故なくこれたのも今も見守られているからなのだと改めて実感します。受け取るばかりでしたが、今度は自分が誰かのお守りとなれるよう一緒に歩んでいきたいと思います。【○】
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神社で七五三の御守りを頂きましたが、その御守りは、昨日神社で親である自分たち自身が行った「感謝・祈り・決意」が形になったものなのだと感じます。鏡を通して自分と向き合い、受け入れることと変えていくことの決意の決意の強さが生き方に表れてくるのだと思うと、日々の祈りや決意の甘さはそのまま生き方のブレに繋がってくるのだと実感します。救いを求めるのではなく、信を強めるための祈りを習慣にしたいと思います。
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錦織圭選手の試合を観て、戦う相手は相手選手ではなく、自分である事を学びました。自分がどんなテニスをするか。それを貫けるかどうかの戦いであり、自分の生き方、戦い方を高めて強くなる過程で、勝利があるのだと感じます。錦織選手は後半、自分のテニスを変えてしまったと言いました。自分のテニスでなければ、勝っても負けても、自分のテニスは強くなりません。世界最高峰のテニスの世界も、技術だけでなく、むしろ自分の信念の強さを確認している事を思うと自分も、何のために戦うのか、そこを間違えず、自分と戦い、自分の生き方で戦い、磨き、強くなって行きたいと思います。