自分が向上しているのかを客観的に自覚するのに自堕落の三要素というものがあります。自分がやっている気になっていても、やらされているのでは自らを自らで積極的に高めていないかもしれません。常に自分の人生において自分を育てるのは自分自身ですから自分がどのように自分を育てているのかを自覚するのは大切なことのように思います。
その自堕落の三要素とは、下記です。
①形式的であること(心を籠めない)
②便宜的であること(この程度でいいじゃないか)
③小市民主義であること(自分だけのちっぽけな問題にとらわれる)
一つ目の形式的はそのままで、形だけ結果に近づけはしますが自分の真心を籠めようとはせずに頭だけで考えて取り組むことです。どんなに善いご縁や機会、環境に恵まれていても頭で形だけをなぞっていては自分が向上することはありません。心を籠めることではじめて自分を活かすことができます。
二つ目は、自分の中で間に合わせでその場しのぎで乗り切るということです。これはぎりぎりになったからや忙しかったからなど、今風でいうところのてきとーに面倒だからそれで済まそうとする考え方です。メンドクサイとなんでもいい加減に取り組んでいたら本質的に取り組むことができません。その場だけでいいというのは、後のことを考えていないからです。自分の目的や初心を忘れないことで自分を活かせます。
三つ目は、自分の価値観に縛られて周りを省み慮ることをしなくなることです。自分が大変ではなく周りもみんな大変なのです。自分の心配ばかりに捉われて周りを思いやることができなくなれば自分を周囲のために活かしていくことができなくなります。どうせなら自分の問題はきっと世界の誰かのお役に立つと転換したり、自分の問題そのものは社會と繋がっていると思った方がいいのです。自分の問題に捉われるのではなく、もっと視野を広めていくことで自分を活かすことができます。
このように自堕落というのは向上心が減退することで発生してきます。人は自分には甘く他人には厳しいものです。自分に厳しく自分を律することで自立することができますから、まず自律ができるようになってはじめて自立して誰かのために自分を活かし働くことができるように思います。
自堕落ができるというのはその陰で、誰か自立している人に依存している自分がいるかもしれません。すべての問題を自分の問題として矢印を自分に向け、主体的に積極的に自分を成長させるために日々に精進していくことのように思います。
それは誰かの目に見えるところばかり求めるのではなく、目には観えない本質を正しく捉え、理想に自分を近づけて高めていくことです。
日々の生き方を定め決心して本質的に歩んでいくことを引き続き大切に本物のままにしていきたいと思います。
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仕事上、感情的になるのはどうかとこれまで思っていましたが、働く上では感情が顔を覗かせるのは健全なのかもしれません。嬉しかったり、辛かったり、悲しかったり、相手はどう思っているのか慮ることはミスをフォローするよりも尊いことだと感じています。感情を大事にするとこれまで感じ得なかったことにまで気付き、これまで味わわず急いで飲み込んでいたにすぎないのかもしれません。感情を抑えることに必死になるよりも、感情に向き合い楽しむ方を大事にしていきたいと思います。【●】
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人生は日々の小さな選択の積み重ねで変わります。日々の出来事に対し、どのような選択肢を持ち、実際に何を選択するかを見れば、その人の未来の姿が見えてきます。「向上」か「堕落」かは、その人の一つひとつの選択にかかっているでしょう。「自滅する人は、神でも救えない」といいます。その選択において、思いやりに欠けていないか?!妥協点が低くないか?!関心世界が狭すぎないか?!理想が小さ過ぎたことを後悔しないように選択を重ねたいと思います。
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三要素、まさに今自分の状態を省みると、疲れや忙しさを理由にしているのだと気づく機会となりました。何故、疲れるのか、何故、忙しくなるのか。頭では外に理由を探し出しますが、それは心を使っていないからだと何かから訴え掛ける声も聞こえます。いつも挑戦、向上も大事ですが、心がこもっていなければ積み上がらない。もっとこの道をゆっくり味わう気概を持って歩みたいと思います。
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心のこもっていない一日はどんなに沢山のこと大切なことを行っても残るものが少ないように思います。思いやりを大事に真心で生きるためにはもっと感謝の心が必要だと感じますが、頭で考えればこれも感謝風になってしまうため、小さな行動の積み重ねから変えていきたいと思います。