子ども心の二つ目には、「わぁすごい」と素直に感動と感激できる驚きの心がある。
子どもは、自分の知識からではなく自然に命あるものを観て尊敬の心を持っている。
例えば、雲が大きかったり、海が広大であったり、風が吹き抜けたり、太陽が眩しかったり、森が豊かであったり、空が綺麗であったりすれば、子どもはそのままに「わぁすごい」と驚きの声を感じたままに感動を顕してくる。
そしてこの「わぁすごい」には、自然が大きく命をあわせて躍動させていることに偉大な敬意の気持ちを同時に感じきっているのである。
子どもにとっての自然とは、父母のようにとても優しくて大きな存在に観えているのである。
理由や理屈などはなく、ただただこの自然の姿を心で捉えている感性が生きているのである。
この命が響き合う世界に、大調和を実感し、様々なものがそれぞれに重なりあって形になっていくその姿そのものに感動と感激の驚きを感じているのである。
この「わぁすごい」と素直に思える心は、子ども心のことである。
これはセンスオブワンダーともいわれるものであり、常に自然の中に命の織り成す奇蹟や不思議さを微細に感じることができる生命への尊厳と尊敬の姿を真心で受け取っているのである。
次第に大人になるとそうではなく自分の価値観で思い込んだ個体としての姿や分別された切り取られた限界のある知識で自然の驚きを次第に感じられなくなっていき、眼の前で起きている自然界の偉大な命の奇蹟すらも感じられなくなってしまうものでもある。
子どもはそうではなく、自分の心の一部としてあるがままに自然を感じているから自然に「わぁすごい」と純粋な心で尊敬の言霊を発しているのである。
これを子ども心の二つ目として書いておきたい。
コメント
感動的な場面でも人によって感じることが異なりますが、それぞれが持っている好奇心が感動を呼び出会えるのだと思います。感動しているときは、集中して視て、聴いてその世界に入り込み夢中になる姿だと思います。感動した記憶がいつまでも、いつでも呼び起こせるのは、感動する記憶が生きて行く上で必要な事なのだと思います。拙い言葉であっても感じるを伝えることは、子どもを見ていると素直でいるためのコツのように思います。本当に感動していることは、話し方や表情に現れ相手に伝わり、感動の輪が拡がり人を動かす原動力に結びつくと考えいます。
大人は子どもが感動している姿、感動している人を見て感動する素直さが大切だと思います。当たり前と思わない、素直さが必要だと思います。
拙い言葉であっても感動を、自分の言葉で伝えられる自分でありたいと思います。