仕事にはリハビリの効果があると言われます。これは単にリハビリの仕事のことを言っているのではなく、生き方をリハビリできるという意味です。
今までどのように生きてきたか、その人の生き方は仕事だけではなく日常のすべてに表れてきます。これを個性だとか思い込んで変わることを避けている人もいますが、実際は個性ではなく生き方の問題なのです。
生き方とは、自分がどのように今まで生きてきたか、そしてこれからどのように生きて生きたいかです。私たちの会社では信念の種というものによってその自分の目指す目標をはっきりと定義して仕事に取り組むようにしています。
そしてその時の仕事とは何か、それは単に結果だけ合わせればいいわけではなく生き方に合わせていくものなのです。つまりは、仕事=生き方、生き方は働き方ということです。これを一致させていくとき、それは本当の志事になります。
そもそもリハビリというものは、本人が直したいと思ったときにはじめて行えるものです。これは先日、あるリハビリ師の方にお聴きしたのですがいくら優秀で有能なリハビリ師がいたにせよ本人が直そうと本気で思わないのならなかなか直らないといいました。
本人自ら主体性を発揮して直そうとしない限り、どんなに善い師匠が傍にいたにせよそれでは直らないという意味なのでしょう。本人が心底直したいと反省し改心し改善するとき、リハビリ(本来あるべき姿)に回帰することができるのです。
今まで歪んだきた人生をもとのあるべき姿に戻すには自堕落した部分を訓練により立て直す必要があります。その立て直すのに最も効果があるのが仕事ということです。
その仕事の仕方そのものを本来のあるべき姿に戻す時、本来の自分自身の姿、もっとも自然体で世の中の人たちに役に立つ自分が顕現します。つまり自分自身でいるままがもっとも全体に貢献できる姿になるということです。
それを実現するためにもコーチがいます。会社でいえば寄り添ってくれて真心で心配し見守ってくれる仲間であったり上司です。そういう人たちの話を素直に聴いて如何に仕事によって本来の姿に到達するか、私は理念によってそれは行われるものだという信念がありますがそういう機会を日々に得られていると思うだけで感謝になると思います。
感謝を御恩返しするのは仕事によって実現します。決して仕事はやらされるものではなく、させられるものではない、それは自分自身を常に直すためにある。だからこそもっと質を高めよう、もっと自分自身になれるように精進しようとするのが最初の心構えと心がけなのかもしれません。
心を入れてはじめて精進ですから、常に日々に改心改善を続けていきたいと思います。
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週に一度、信念の種を見直し今週どうだったかと振り返っていますが、自分が思うままにやっているだけなのかもしれません。そこにどんな目的や意味、ご縁があったのかもっと深い意味があっているのではと思うと、まだまだ至っていないのだと感じます。そう思うのも1年前の今日の振り返りを見ても今と同じようなことを思い書き、思い変わらずにいるからです。仲間の信念の種から今一度自分自身を見直したいと思います。【●】
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人には「やりたいこと」と「在りたい姿」があります。「やりたいこと」を追いかけても、「在りたい姿」を実践できていなければいい仕事にはなりません。「やりたいけれども、上手くできない」と言いがちですが、それは、「在りたい姿」が追求できていなくて、そこにいつまでも「言い訳」を抱えているからでしょう。「言い訳」がある間は本気ではなく「素直でない」ということです。そこをリハビリしなければなりません。
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大人になったら働かなければならない、食べていくためには働かなければならない、など「働く」ということの価値を下げる刷り込みが幼いころから強くありましたが、実際に社会人となり働き始めると、お客様に信頼される喜びや育てて頂ける有難さがそこにはありました。自分の人生を振り返り、生きる目的を見つめ直した時、自分を磨き続けることがそのまま人のお役に立つのだと、人生の目的は定まりましたが、頭での理解ではなく心からの行動で日々自分を正さなければブレてしまうことを感じます。信念の種を心に刻み、人生の御守りにしたいと思います。
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九年かけて、会社で自分の性格を成熟させて頂いてきたのだと、振り返ると感じます。そしてこのタイミングで、一緒にやる、心で寄り添う、分けない、という生き方に出会い、また分岐点に来ていることを感じます。いつもいつも、こうやって機会を頂けることはありがたく、粗末にしてはならないと自分に危機を感じます。軸足がまだまだ自分にありますが、転じて行きたいと思います。