子ども心4

子ども心の四つ目には、「いいよ」と素直に許すことのできる心がある。

子どもは、自分の知識からではなく自然に命あるものを観て寛容の心を持っている。

例えば、ケンカをしてもすぐ仲直りし、感情的になったとしてもすぐにケロッと忘れ、謝るとすぐに許してくれ、どうしても仕方がなかったことをそのままに受け容れてくれる。

そしてこの「いいよ」には、自然が大きく命をあわせていることに偉大な寛容の気持ちを同時に感じきっているのである。

子どもにとっての自然とは、色々なことを素直に受け容れる偉大な器のようなものなのである。

理由や理屈などはなく、ただただこの自然の姿を心で捉えている感性が生きているのである。

この命が響き合う世界に、大調和を実感し、様々なものがそれぞれに重なりあって形になっていくその姿そのものに御互いを許し合うことを感じているのである。

この「いいよ」と素直に思える心は、子ども心のことである。

御互いが受け容れ合い、御互いが支え合う、そして気にしないで互いに一生懸命に生きることを許し合えることを真心で受け取っているのである。

次第に大人になるとそうではなく昔の出来事をいつまでも忘れなかったり、感情に支配されたりして誰かのことをいつまでも許すことができないようになってくる。

子どもはそうではなく、自分の心の一部としてあるがままに自然を感じているから自然に「いいよ」と純粋な心で寛容の言霊を発しているのである。

これを子ども心の四つ目として書いておきたい。

  1. コメント

    「いいよ」と素直に言えるのは、「ごめんね」の言葉よりも、相手の素直さを信じているからだと思います。許された経験があるからこそ、人を許せるのであり素直さは経験や環境によって養われていくようにも思います。
    また許せるということは、相手が心を開くのを待つことだと考えています。以前、ある人から、10回裏切られても11回目も信じるという言葉を聴いたことがあります。その人はきっと12回目も信じるのではないかと思います。許すということは、自分自身が嘘偽りなく、本音で話し相手のことを信用し、相手が信用してくれるまで待つことだとそのとき感じました。
    信頼関係がなければ、不信や疑惑が生まれ許すことはできないと思います。憎しみからは何も生まれないことを考えると、相手に矢印を向けるのではく、自分自身を行動を振り返り、素直に気持ちを伝えることが大切だと思います。

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