子ども心5

子ども心の五つ目には、「やってみよう」と素直に新しいものにチャレンジできる心がある。

子どもは、自分の知識からではなく自然に命あるものを観て成長の心を持っている。

例えば、どうしても湧き上がる好奇心が抑えられず夢中になってしまったり、怖いもの知らずに飛び込んだり、自分のことを忘れてしまうほどにそのものと一体になっていたりする。

そしてこの「やってみよう」には、自然が大きく命をあわせている中で共に成長していこうとする気持ちを同時に感じきっているのである。

子どもにとっての自然とは、共生していく中で元気よく成長していこうとするようなものなのである。

理由や理屈などはなく、ただただこの自然の姿を心で捉えている感性が生きているのである。

この命が響き合う世界に、自分らしく生きることをそれぞれが真摯に取り組んでいる中で自分も成長していこう、新しいことをどんどん「やってみよう」と共に生きながらいつも夢中でいられるのである。

この「やってみよう」と素直に思える心は、子ども心のことである。

共に生き、共に成長しあえる関係の中で次々と困難を乗り越えあいながら切磋琢磨していく中で貢献しあえている幸せを真心で受け取っているのである。

次第に大人になるとそうではなくリスクを取ることを恐れ、挑戦することを諦め、無難にこなそうとして受身になり日々に流されていくうちに生気がなくなって元気のない人たちになっている。

子どもはそうではなく、自分の心の一部としてあるがままに自然を感じているから自然に「やってみよう」と純粋な心で成長の言霊を発しているのである。

これを子ども心の五つ目として書いておきたい。

  1. コメント

    遣りたいと思うことは、他の人よりも環境に反応する力を持っているおり、いずれ必要になる力を先に気付き求める人のように思います。挑戦するということはリスクもあり、変えないことのほうがリスクが小さいという考えもあると思いますが、長い目で見たときに今という時間軸にとらわれるのではなく、変えることのほうがリスクが少ないことがあると思います。その時の為に、子どもの時から自らやりたいと思う気持ちを備えており有事の時のために、知らず知らずのうちに素直な気持ちのありようが積み重ねられているように感じます。
    また、反対に遣りたくないと言えることも素直さだと私は感じます。どのような理由にせよ自分の意見を言えること積み重ねが子どもの時から大切だと思います。課題になるのは、意見を持っていないということが子ども心からかけ離れているようなに思います。
    子どもが遣りたいと思った時にそれが出来る環境、やってみたいと思える憧れの人がいること、子どものことを考えたときにその環境を大人自身がまず示していかなければならないと思います。

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