子ども心7

子ども心の七つ目には、「遊ぼう」と素直に好奇な本能を開いている心がある。

子どもは、自分の知識からではなく自然に命あるものを観て本能の心を持っている。

例えば、虫を叩いたり何かを壊したりと残酷なことをしてみたり、そのあたりのものを手当たり次第扱いまわしたり、様々なことを好き勝手にして飽きるとまた捨てるように子どもは刹那的な感覚で無心にやっていることがある。

そしてこの「遊ぼう」には、自然が大きく命をあわせている中で本能のままに無限のものを捉えようとする気持ちを同時に感じきっているのである。

子どもにとっての自然とは、無限の感覚の中で意味のあるなしに関わらず本能の赴くままに遊んでみたいと思っているようなものである。

理由や理屈などはなく、ただただこの自然の姿を心で捉えている感性が生きているのである。

この命が響き合う世界で、本能のままに遊びこむことで自らに気づくことを呼び込もうとしているのである。気づくのは、無の中にある何かに本能は気づいているからである。

この「遊ぼう」と素直に思える心は、子ども心のことである。

本能が遊ぼうとするその答えを直観と真心で受け取っているのである。

次第に大人になるとそうではなく、遊ぶことまでも考えなければできなくなったり、遊ぶことにまでいちいち意味を持たせようとして意識の中でやっていることが遊ぶことだと勘違いしていたりする。

子どもはそうではなく、自分の心の一部としてあるがままに自然を感じているから自然に「遊ぼう」と純粋な心で本能の言霊を発しているのである。

これを子ども心の七つ目として書いておきたい。

  1. コメント

    遊ぼうと問いかけることは、人と関わりたい、一緒にいたいという想いのように思います。遊ぶ内容の云々よりも一緒に時間を過ごすことを求めているように私は思います。遊んでいても周り事が気になったりするのは、遊んでいるようで遊んでいるとは別のことのように思います。遊びに夢中になっていると周りのことも気付かず、自分の世界に入りこんでいると思います。そういった、夢中で楽しむ姿を見て自分も仲間に入りたいと思うことは、大人になってからも同じように仲間に入りたいと憧れる姿ではないでしょうか。周りを見て自分も一緒になって遣りたいと思う気持ちを素直に言えること、勇気を振り絞って言えることも、素直な自分が大切であると感じます。
    「遊ぼう」に対しての「いいよ」と答える反応は、すべてをそのまま受け入れている素直な心だと思います。

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