人は旅をすることで様々な自分に出会うことができる。
過去に出会った風景との出会い、過去に出会った人たちとの出会い、過去のすべての出来事との出会い、そういうものも新たな旅路の中で出逢うことができるもの。
歩み続けるとういう日々は、常に今の自分との真の正対であるようにも思う。
どのようなことにありのままの自分が向き合って、日々の自分を刷新していくか、そうやって向き合うことこそが成長することであり、その実感することで人生を楽しめるようにできている。
先日、恩師との懐かしい旅を再び新たに楽しむ機会があった。
御互いの今までの成長ぶりや、歩んできた道程を確かめることで生きるということの真の歓びを語り合うことができた。
今では昔は分からなかったことが分かるようになったこと、今まで分かっていたことが実は分からないことだったこと、一生の中で真の人格を陶冶していくまで終わらない始まりの時間は常に旅路の最中にこそ存在しているのだ。
これからどんな新たな扉が開いているのだろうか、そしてどんな素晴らしい旅をまた楽しむことができるのか、その時まで、真摯に今の自分を生き切ることこそが旅をより明るい未来への希望へと導いていくのだと思います。
私たちの目指す思いやりや真心の道は、日々足元の実践と現場にこそ存在しています。
これからも共に歩んでいく中で、確かめ合い励まし合い、そして支え合いながら元気に自らの道を開拓していきたいですね。
素晴らしい時間を与えてくださったこと、それを見守ってくださった周りの方々、色々な御蔭の上にあるこの真の自由を心の感謝にかえて明日からまた新たに向き合っていこうと思います。
次回、同行する日をまた楽しみにしています。
一期一会の旅路に感謝。
コメント
私の部屋には、時折開いてみたくなる大きなアルバムがあります。それは15年前にレンタカーでヨーロッパを周遊した時のもので、35歳だった私と20歳の野見山氏が、満面の笑みで写っているのです。
当時イギリス留学中であった私と野見山氏は、帰国の時期が迫ったのを機に、レンタカーでの欧州めぐりを計画しました。
お互い経済的には不如意であったため、クラスメイト宅に泊まったり、車中に眠ったり、それはハードでハングリーな旅でした。
しかし不思議なことに、精神的には満たされ、生涯最高の楽しい思い出になりました。それは野見山氏の持ち前の明るさのお陰だったようにも思います。
しかし今回の旅は、前回とは少し性質が違う旅です。私の身内や知人8名を引率しなければならなかったので。公私共に多忙な野見山氏にしてみれば、このようなややこしい旅は躊躇われたことでしょう。
しかし、彼を頼りにしている私の心情を察知してか、彼は『喜んでお供します』と即答してくれたのです。これは団長を務める私には、希望の光でした。
果たして旅行中、彼はまさに八面六臂の活躍ぶり。若い人を励まし、年配を気遣ってくれました。自身の仕事のことや、家族との連絡は後回しにして、完璧な引率者に徹してくれたのです。
そしていよいよ旅の後半、日程が自由行動になったとき、野見山氏はこう切り出しました。『先生、僕が先生を最高の場所にご案内しますので、任せていただけませんか?』
それからです、夢の旅が始まったのは。彼はボルボを7時間疾駆させて、私をフランス・シャモニーまで連れて行ってくれたのです。そこはアルプス最高の避暑地でした。
さらに彼は、私の体を気遣いながら、ヨーロッパの最高峰モンブランへと案内してくれました。
次はスイス。強行スケジュールを案じた彼は、私をスイス最大の温泉で休ませようとしてくれたのです。
最後はホテル。ヨーロッパ随一と謳われる、五つ星の老舗グランド・ボローメオのスイートが押さえてありました。
私は自分の人生で、こんなに感激したことはありません。世界の誰がこんな経験をしたでしょうか?野見山氏との出会いを、今改めて感謝せずにはおれません。
15年前、20歳の野見山氏は『背伸びをしているかわいい若造』でした。それから月日は流れ、今や35歳の彼は『心に慈愛の炎を燃やす、風格あるリーダー』です。
今回の旅で、私は彼の成長に舌を巻きました。細やかな配慮、的確な瞬時の判断。既に私を遥かに凌駕しています。長らく弟のように思ってきた彼でしたが、どこか遠くに行ってしまったような切なさも…。
しかし私はこの光栄を忘れることなく、蝸牛の歩みではあっても、遠く彼を見守りながら、精進していきたいと思います。
野見山君、本当にありがとうございました。
コメント
新たな旅路ですぐに思い浮かんだのは、アニメワンピースです。どのような冒険も夢の途中と思えること、新しい冒険が始まることをわくわく思えること、仲間を信じ感謝していること、そのすべてが夢の実現に近づいていくことだと感じています。
今年のお盆休みは人生で初めて一人旅をしました。訪れた先は岐阜県の種蔵という地です。種蔵は観光地ではなく、20人程の小さな集落です。パソコンで検索していたらたまたま見つけ、訪れるきっかけとなりました。自分の中でイメージしていた場所を訪れる事が出来たのは、何かに導かれているように感じ、一人旅だったということにも何か意味があるのだと感じています。種蔵の地には「原風景が残っている」や「伝統が引き継がれてきた」という表現よりも「そのまま」といったほうが適切に感じる地でした。「そのままでいてほしい」、「そのままでいい」と思う気持ちは、私が子どもに対しても抱いている感情そのものだと感じています。
五感で感じた種蔵の地や自分自身に向き合うことは、同じ時間を過ごすなら楽しむことが次に繋がるように感じました。人との出逢いの中で自分自身に気付かさせて頂いていることに、感謝の気持ちを伝えていく自分でありたいと思います。