人は共感をすることで人格を磨いていくことができます。その共感の本は、人は誰しもが何らかの苦しみを持っているということへの自覚です。自分か相手かではなく、相手も自分も同じだと思えることの中に共感力は育まれます。
そしてその共感が高まるとき、ひょっとしたら目の前で苦しんでいるこの人は私だったもしれないと実感するのです。自他が一体になる過程の中に、どれだけ他人の苦しみに寄り添いそれを自分のものとしそれをどうやったら和らげることができるだろうかという実践の積み重ねによって人は「救い」という技術を持つように思います。
例えば、「逆算する」という技術があるとします。タイミングを計り、その人にとってどのタイミングが最も良いのかは共感によって見極められるものです。これも心の技術とも言えます。しかしこの心の技術は簡単に身につくものではなく、いつも誰かのために自分が大変であっても自分を気にせずに相手を思いやり行動して実践をし尽した分だけ高まるものです。
営業でいえば、お客様のためにお客様に共感し何とかしてあげたいという発露から自分を忘れて真摯に親切に取り組んだときにはじめて自分を活かす方法を自覚します。その方法に逆算という発想が生まれ、それを自分の技術として体得できるのです。
これは単に頭で考えて段取りを逆算するというようなものではなく、心も合わさり逆算が澄まされどのタイミングがその人にとって最善であるかを自然に自覚するのです。これは苦しみに寄り添っているからこそできるものです。
仏教の教えの中に「抜苦与楽」(ばっくよらく)というものがあります。
これは仏や菩薩が衆生の苦しみを抜いて福楽を与えることで抜苦(苦を抜く)とは、悲をあらわし、与楽(楽を与える)とは、慈をあらわすと言われます。
困っている人を見ては何とかしてあげたい、大変な目にあっている人をいれば助けてあげたい、そういう思いやりを形にしていける実績こそが実力といえるものです。
福楽の実力があれば一人でも多くの人たちを救えます。その福楽の実力をつける方法は、思いやりの実践のみです。思いやりの実践は生き方の集積ですから、自分の生き方を仕事も同じく一体にして働き方を変えてこそ自在になっていくのでしょう。
そのためにもまずは共感しなくなってしまった自分の刷り込みを取り払うことからはじめていくことだと思います。自分のことが大変なとき、きっと周りも大変だろうと思いやる心や、相手をみてはきっと何か自分にわからないような大変なことがあるのだろうと思いやる心、そうやって自分の尺度を越えて相手を思いやる習慣を持つことで次第に刷り込みは取り除かれていくものです。
出会いが人を変えていきますから、一人でも多くの人たちに貢献できる人物に自分が為っていくことが何よりも世のため人のためです。日々の精進を噛み締め踏み固めながら福楽の実力を磨いていきたいと思います。
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「生き方」とは、やったりやらなかったりせずに、毎日そのように生きる、いつもそのように振舞うということです。それは、出逢う人の誰に対しても、同じように接するということでもあります。時によって、人によって「思いやり」の実践度合が変わってしまうのは、まだまだ「自分の都合」というものが顔を出し、優先されるということでしょう。「福楽の実力」をつけられるよう、一つひとつ、一人ひとりに対し、丁寧に生きたいと思います。
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「福楽」幸せな言葉ですね。言葉と言葉を重ねて相手に贈るのも共感なのかもしれません。そして「福楽」を積むのも思いやりとあらば今からでもはじめられます。楽なほうではなく楽しい方へ導ける力をつけたいと思います。【●】
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昨日を振り返ると、文化作り、環境作りは、抜苦与楽の場、間、和を作る事になり、抜本的な幸せ作りになると感じます。自分達がまず、その環境を作り、楽しみ、形にしていくこと。夢見事ではなく現実として未来を創造して行きたいと思います
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「思いやる」ということがどういうことか分かっているつもりでしたが、分かっていたのは半分だけだったのだと感じます。優しさも思いやりも、自分からそうしてあげたいと思った時は自然と発することは出来ても、そうでない時に如何にそうあれるかは、生き方なのだということ。まずは自分の理解の枠を外すことから始めたいと思います。