役割意識~人生の目的~

北米インディアンの諺に「7代先の人達のことを考えて生活しなさい」があります。ちょうどこれは200年から300年くらい先のことを考えて今を判断しなさいという教えです。

人は判断をするのにどれくらいの長さで物を観るかでその哲学が変わってきます。今が過去の集積によって存在していることの実感は、同じように先祖たちが考えてくださった未来を今を生きる自分たちが感謝し子孫へ譲っていく思想です。

例えば、食糧でも同じく自分たちの代で食べ尽してしまえば必然的に子どもたちの時には残っていません。子どもたちが貧困で苦しい思いをしてほしくないという思いは誰だって子どもが産まれたら願うものです。そして戦争でも同じく、自分たちの代で戦争をすれば子どもたちには戦禍を遺すことになってしまいます。子どもたちが悲劇に見舞われないようにという願いは同じように誰にでもあるのです。

しかし今の人たちは意図的に操作された自我優先の慾環境によって盲目に刷り込まれ自分たちの身の上のことばかりを思い煩い、先々のためにどう生きるかということを優先することができません。まるでそれは自転車操業のように、走り続けなければ倒れてしまうと思い込んでいるように働きに働きづくめで忙しさに心を取り戻せません。

空の悠久に流れる星々をみつめて今世の自分の役割を果たそうなどと考える時間もないほどです。

北米のインディアンたちは、太古の昔から「自分のいのちは役割を果たすためにある」といった哲学をもって生き抜いてきました。何よりも優先するのが使命や役割だったのです。「グレートスピリッツ」という全自然の偉大な大生霊の循環によって産み出された自分の存在を生き活かそうとするのです。

それは自分が男や女、またどの家系に紐づいているか、その今の自分そのものの全体の中の役割に生き切ろうとするのです。

その役割についても徹底してて、部族の役割の頂点にいるのが酋長です。この酋長は全ての物を全ての人に分け与える存在として選ばれます。従って酋長は一切資産資材を持たず、一族の中では最も質素な暮らしをしていて全体のために自分の役割を生き切るのです。

役割意識というものは、何よりも大事な意識です。

自分の人生を役割だと思えるか、その役割を果たそうと実感できるか、そこには謙虚な生き方があります。自分の生とその自分に与えられた役割に素直に感謝できるとき、今の自分が見守られていることを知ります。そして満たされている存在、足るを知ることによりその御蔭様に対して御恩返しをしたいという願いがでてきます。

その時、はじめて自分がどう生きたいか活かされている自分をどうしていきたいかという人生の目的に出会うのです。

どんな人もどんな動物草木昆虫菌類、無機質のものにいたるまで役割があるから一緒に暮らしているのです。お互いが違う役割を求めるとき、人は生きる意味を見失うように思います。

自分探しや自分の目的など色々と彷徨っている話を聴きますが、大切なのは与えられた役割に気づき役割を果たすことに専念することのように思います。

「自分のいのちは活かされている」という実感があって人は目的に出会うのでしょう。

役割を果たせるように今日も未来永劫に続き未来の子どもたちと、宇宙や世界全体のために今できることに専念していきたいと思います。

 

この酋長はもっとも

  1. コメント

    「役割意識」とは、「まず、自分には役割がある」という認識であり、それは、「天命」を受け入れるということでもあるでしょう。そこには、「自分のいまの都合」は関係ありません。「天命」とは、「自分の天分と自分の人生の目的」とを考慮して与えられたものであり、もっとも自分に相応しい生き方ではないかと思います。そういう意味では、「謙虚に生きる」ということが、もっとも素直な生き方になるのではないでしょうか。

  2. コメント

    1年後を思い浮かべようとするとまず自分が先立ち、自分のことを心配しています。200年後、自分はきっとこの世にはいないだろうと想像がつき
    ますが、思い浮かぶのは平和な世界であってほしいと願うような気持ちです。
    自分の子どもでも孫でもなく7代先、想像の及ぶ範囲ではなく創造によって今なすべきことを伝えられているように感じます。子孫を思うインディアンのように、未来を見据え社業に励んでいきたいと思います。【○】

  3. コメント

    過去や未来との繋がりを忘れずに生きることは大切だと思いますが、ある一部分のみをフォーカスしたり、意図的にそれを持ち出して自分の都合よく進めようとする人間の我があることを思うと、過去未来の広い視野を持つためには人間学や自然観を持っていないと難しいように思います。ですが、目の前だけでなく先祖や子孫のことを思って生きることは純粋に感謝や希望、勇気が湧いてきます。使命を感じて一日一日を生きたいと思います。

  4. コメント

    どんな眼差しで、実際に行動しているのかを振り返ると昨日は自分、園さん、クルー、家族にそれぞれ軸足を置き、行動していましたがどれも百年先を見据えた行動であったかというと、そうではありません。大きな判断や不安が募る時には長い目線を求めますが、普段はすぐに目先に目線が行きます。だからこそ、日々の一円対話という環境が大切なのだと実感します。この有難い環境を広げて行きたいと思います

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