先日、あることを考えていると天罰ということについて見直す機会がありました。よく悪いことをすると天罰が当たるという言い方をしますがこの天罰とは何かということです。
そもそも天は罰を与えることはありません。罰が当たるのは自分自身です。自分にとってつらいこと苦しいことを罰とし、その罰が来たということです。天がわざわざ罰を与えたわけではなく、自分自身が素直になったときに「これが報いか」ということを自覚するだけです。
報いというのは因果応報のことですが、これはそもそも先ほどの天罰と同じく悪いことで使われますがこれもおかしな話で自分にとって悪い報いだけが起きるわけではありません。善悪というものも、人間が自分にとって善悪を決めるだけで天は善悪を持ちません。つまりは、因果応報もこれは単に行ったことが形になっただけでそれに善悪を設けているのは自分自身ということです。
人間というものは、自分を中心に置いて物事の善悪や成否を決めます。そしてそれは常識という枠組みの中によって正解と不正解を裁きます。そのことにより自然だったものが不自然になり、本心だったものが本心じゃなくなっていくのです。
物事というのは観方の問題です。
現実というのは、偉大な循環の中の一つであるためその物事や出来事は必然的に自分に置かれます。つまりは産まれてくる場所をはじめそこに自分がいるのは全体の一部としてそこに必要として来たのです。その現実は現実ですから受け止めて受け容れるしかないのはそれはどうしようもない事実だからです。
だからこそその事実を変えてしまいたくなるような自分中心の自分自身があるのでしょうが、それを手放していかなければ現実の苦しさに自分が耐えられなくなってしまうのです。そういう時は、観方を換えるしかありません。本来、善いことであるという観点、丸ごと善いことであるという観点、繋がり味わい楽しむならばそれが正しいという観点のように、自分の観点を不安不信ではなく信の世界に換えるのです。
そもそも天罰などはない、天はいつもすべてゆるしてくださっている、天はいつも助けてくださっているというように大前提を変えてしまわなければ観点は変わりません。つまりは自分の解釈そのものの基準を、信じる方へと善い方へと変えるということです。
自分の不安が未来を悪くしていくのは、そういう観方を換えられないだけです。今の生き方を常に善い方へと善転できるならその人はどんな運命であろうとも自分の人生を仕合せに歩んでいくことができるからです。
人は自分の思い通りになるとき、このままずっと今のままがいいと願うものです。しかし時代はそれを待ってくれません、自分ひとりで生きているわけでもなく世界は発展を続けるからです。
だからこそ今の自分を転じていくこと、それが人事を盡していくことだと思います。天は信ですから、その信に報いるのは徳です。その徳を磨いていくことは、人事を盡してあとは天に任せていくことです。
自分の思っていることなどたかが知れていて、ほとんど全ての出来事が自分ではない周りのところが動いてくださってことはなされていくものです。それが循環の理でもあり、地球の中に共生する原理でもあります。
偉大な中に存在させていただいているのだから、自分の役割を果たしていくことが徳に報いることです。自分都合自分勝手な解釈を戒め、常に観方を転じて信の世界を子どもたちに譲っていきたいと思います。
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「事実」は、その人の受け取り方によって「違う真実になる」と言われます。信じる人には、それが「真実」であり、勘ぐり疑う人にとっては、それが「真実」になるのです。「事実」を歪めてしまう「保身」の原因は「不安や恐怖」です。自分が不安がり、恐れることによって、「事実」が歪んで見えていることを自覚しておきたいと思います。
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「そんなことをするからバチが当たったのよ!」と、母親が子どもに言う光景を思い浮かべますが、そもそもその声掛けがなかったら子どもはそれを罰と思うのか学び・教訓と思うのかどちらなのでしょう。懼れるのはその罰という観方が一度定着してしまうと外すのが難しいことなのだと思います。自分自身の捉え方もそうですが、相手への声掛けをする際にこそ信を入れていきたいと思います。
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自分自身に向き合うことを怠りそれを罰を与えられたと思えば、格好がつくからそう思うのかもしれません。向き合いたくない時、避けたいとき都合のいいように解釈しています。現実は向き合う中で好転していくと思うと、やはり内省して行動してこそなのだと感じます。向き合おうとしないことを罰と戒め、善いことになるまで時間がかかっても内省を続けたいと思います。【●】
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忘年会で我を忘れては、なにが生き方だと、思う気持ちで一杯ですが、事実を知る良い機会だと捉えて、変えて行きたいと思います。何を言い訳するでもなく、自分の使い方を邪魔しないようにして行きたいと思います。