昨日、久しぶりに貝磨きを体験してきました。
貝には不思議な魅力があり、貝のことを調べていたら樹木に共通するものがあります。一見、じっと動いていない静かな存在ですが杜と海の共通点も実感することができました。
ちょうど、7年前に「アイスランドガイ」(学名:Arctica islandica)という史上最長寿の動物が発見されました。なんとその寿命は400歳を超えるそうです。なぜ400歳まで生きられたのかは、いまだに謎のようで極寒の大西洋の厳しい環境の中で生きぬいてきた貝です。
その中身のいのちを守るのだから当然、貝殻もそれを守るのに相応しいものだったのでしょう。貝殻を観ていると年輪のようなものがあるのが分かります。これは樹木と同じく年輪をみて年齢を測定するのです。
昨日は、6000年前の地層から流れ出てくる貝殻を浜辺で拾い集めました。ちょうど前日が嵐だった御蔭で沢山の貝殻が浜辺に打ち上げられていました。その貝を拾ううちに、その貝の持つ歴史を感じたのです。
石でも樹木でも貝でも、一見死んでいるように見えるものですが実際は生きています。動物学的には死んでいても、時を刻むという観点からは死ぬことはありません。
これは心の世界の話になるかもしれませんが、生き死にとは単に活動しているかどうかだけではありません。歴史のように長い年月、悠久の時間をイキテイルという考え方があるように私には思うのです。
それは年輪に観てわかるように、太古の化石に触れると感じるように「重み」というものがあります。
この重みを味わうとき、そこにいつまでもなくならない存在に出会います。それが「時間」という存在です。時間という存在は、私たち個体が実感するような小さなものではなく丸ごと一体になっている偉大なものです。
その中の一部として存在し続けていること自体が「偉大な意志」ではないかと思えます。その偉大な意志が小さないのちを守っているのです。私たちも地球に守られるように、その大きな存在によって見守られています。
その見守られている存在に気づけるかどうかが、人生においてとても大切なことのように思うのです。貝磨きを通して、魂を如何に磨いていくか、なぜ磨くのかを考えるきっかけになりました。
改めてなぜ磨くのかについて年末年始の内省に深めてみたいと思います。
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時間に追われたり、駆られたり、大切に味わったりとある中で、時間に見守られているという考え方をしたことがありませんでした。悠久の時間から見ると、自分はどの様に映っているのかわかりませんが、いつも平等に機会をくれていること、考えを温めてくれていることに気付きます。とても近くにいつも寄り添ってくれている存在に感謝して歩みたいと思います。
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日本人は、昔から、靴を磨いたり、床を磨いたり、機械を磨いたり、趣味の道具を磨いたりと、いろいろなものを磨いてきました。モノを大事にするだけでなく、磨くほどに、感謝と愛情を深めていったようです。モノは「磨き込む」とピカピカになり、光を宿します。光を宿すのは、そのモノの本質の現れであるかもしれません。また、モノの「磨き」を通して、自分の心を磨いていたのでしょう。もう一度、「磨く」ことを思い出さないといけないかもしれません。
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先日、江戸やすりの職人さんにお会いしました。用途に応じて様々な形大きさのものがあり、磨きの奥深さを感じました。貝を磨いた際は紙やすりを使いましたが、他のものでも磨けるのでしょうか。まだまだ知らないことばかりですが、テーマをもとに学びを深めていきたいと思います。【●】
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ポジティブで前向きというのが一般的には良いと言われますが、心を偽って無理にそう思おうとするのは違うように思います。それを考えると、最近は自然と全てが善いことだと思えるようになったのは、大きな見守りの存在が少しずつ感じられるようになってきたからなのかもしれません。全ての変化を受け入れて年輪のしっかりと刻まれるような生き方をしていきたいと思います。