人がモノゴトを相対的にどちらかが良くてどちらかが悪いというように考えるようになってしまうのは「頭」だけで考えようとするからである。
基本、頭の中は知識や価値観の色眼鏡でモノゴトを観ていて自分の解釈で様々なことを良いことや悪いことなどと思い込み日々そのモノゴトを自分都合で裁き続けている。
例えばこっちはダメでこっちは良いなどと正論や法則を語っても、実際は自分で行動してみると思っている通りにはならず頭で考えたことと現実とは異なっていたりすることが多い。
頭で考えているときは、どうしても自分なりの考えのみで判断してしまう。
しかしまずやってみて行動するとなると、考えている通りにはほとんどならず如何に自分が正直であるかや如何に自分が素直であるかが一瞬一瞬に問われ、竟には自然に言行一致の状態に近づいていく、それを実践という。
何かをやらない理由を持とうとすることも先に頭でいろいろと分かってしまうから計算してしまうのであり、いざ行動に移して実践したものは全てに心を遣い感じないとできないことだから次第に相対的ではなくモノゴトを中庸にしていくのであろうとも思う。
昨日も保育環境セミナーが開催され、情報交換会では各園での自園での実践発表や課題などを一人一人が語っているところを拝見していると正直に行うことの大切さを改めて認識することができる。
実践をしているということは、言い訳のために頭で考えなくてもできるということである。
そして実践をしているからそこではじめて理論が語れるのであり、実践をしない人が先回りするのは正直に向き合っていないか失敗を恐れてやりたくないから先に成功する法則を理解することに躍起になってしまうのでもある。
何でもやってみなければ分からないのであり、正直である人が最期は納得する自分なりの境地を切り開いていけるのである。世の中に善悪良否はなく、すべては自然のあるがままでいいのであると私は思う。
そして実践することは誰かのせいや何かのせいにすることはない。
正直な実践は常に自分と向き合いその矢印も自分に向いているのだから自分が間違っているのではないかという出発点でモノゴトを捉えることができているからモノゴトの本質や実相をそのままに感じて竟には悟ることができる。
まず自分のどこが間違っているのか、見落としている足元に気づこうとしてはじめて自然を捉えるような心が芽生え、自分自身を知ることができるのであろうとも思う。
どうしても問題や課題が外側にあると勘違いするのは欲望でありそこから相対的な目線に陥り、自分の歪んだ色眼鏡があること気づかず困惑し彷徨うことにもなる。
自分を知るということは、正直にいることであり、それは何が良いか悪いかと裁くよりも時間を懸けて自分が素直に行動して実践を積んでいくことはじめて観えていることになるのである。
自分に正直というのは何よりも私たちの生き方として大切な徳目であろうとも思う。
自分を偽ってはどうしても周りを巻き込んで偽や擬を積み上げて迷惑を巻き込んでしまうもの。だからこそ、自分自身は常に正直にあるがままの行動ができるように真心を優先して自分と向き合っていきたいと思う。
人間は誰もが本能的には自分のことしか考えられないのだから、真心の実践を積んでいくことで考えないようにしていくよう正直な心のままに日々の実践を楽しんでいきたいと思います。
コメント
目の前にいる子どもたちのために働くことが、遠く離れた子どもたちのために働くことに繋がると考えています。近くを見たり、遠くを見たり自分自身がブレてもすぐに戻るためには、一点に集中しているだけでは視野が狭くなると感じています。
今回のセミナーを通して改めて、自分自身がどこを向いて働くのかを重要性を感じました。子どもを信じ、実践を続けることが保育の道なのだと感じています。