普遍的な観念

東西の垣根を超えてというのは大切なことである。

西洋から学ぶことや東洋から学ぶこと、東西には様々な文化もありそのどちらが優劣があるのではなくそのどちらの中にも共通する普遍的な観念が存在しているのである。

その共通するものとは、人間が今のように分別する前のものともいっていい。

そういう次元まで意識や見識が日々の観察や実践により本質が顕われれば、一円融合された調和の中で真相のモノゴトを自在に観ることができるようになる。

違いを分別するためのものから、共通するものを観るようになるには統一した視点で全体を一つとして正直に素直に感じることが理解できるようになることでもある。

これは自然理解も子ども理解も同じく、全体として統一されたものの理解とはつまりそういう普遍的な観念でいるということでもある。

今の世の中の環境問題も実際はすべて人間の問題であり、人間そのものの有様や生き方が皆の世界へ多大な影響を与えているのである。

分別した知で断片的に一部を切り取って最善だと言い切っていたとしても、そこには統一された自然の叡智があるわけではない。それは単に、そういうものであると相対的なところで部分を語っているに過ぎない。

これからは如何に調和の中で生み出された智慧が、東西を超えて世界で活かされるかと考えると私たち日本人の中に脈々と受け継がれてきたかんながらの道やその言霊の中にある生活の叡智が求められてくるのであろうと確信できる。

今のような不安を煽りたてるように仕掛けられている時代には、心の平安を生み出すような豊かで穏やかな思いやりのある普遍的な自然との共生の仕組みが正しく調和へと転換させてくれるのだろうとも思います。

昨日のセミナーでも、日本の3Mといった見守るや結び、もったいないというような言霊の中にある叡智が世界には求められていることを感じます。まだまだ思い出せないだけで沢山私たち日本人は役割を持っているのだと思います。

子どもたちに伝承していくためにももっと素直に深く学び、もっと澄んだ感性で気づき、正直に普遍的な観念を磨いていきたいと思います。

日本人としての役割を世界のために真に果たすことができるように、志高く胸に秘め日々の実践を徹底していきたいと思います。

  1. コメント

    ヨーロッパ・カンボジアと両方とも行たいと感じたのには、どちらか一方の文化を見ただけではよくないと、直感が働いたように思います。自然と中立に立とうとする心の働きかけがあったのだと思います。両方を視感じたことは、もっと日本を知らないといけない、そのことを強く感じています。日本の原風景を見たいと感じる事や、文化や歴史を学びたいと思えるようになっていることは前よりも成長し、行った価値があったと思えています。
    「戦わずして勝つ」私の今の気持ちの意味解釈として、今すぐに想いを叶えるのではなくて時期が来るまで、しっかり想いを温めること。自分自身の言葉で伝えるためには学ぶべきことがあるということです。
    本来の使い方と異なっているのかもしれませんが、今表したい気持ちが「戦わずして勝つ」です。

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