昨日、社内で新しい年を迎えて昨年の御蔭様に感謝とともに熊野神社に参拝し昼からは七草粥、また夕方からは一年のふり返りを兼ねて新年会(信念会)を行いました。
今年は書初めではなく、磨き初めという初実践もはじまり皆で貝に字を彫り込みその貝をピカピカに磨くという実践を行いました。磨ける仕合せ、磨いたら光という有難さ、何より磨いている自分自身が感謝に包まれるという体験をできたように思います。皆で磨き合えるというご縁もまた、天の絶妙な計らいかと思うと勇気づけられ励まされるのは同じように志した仲間がいるという安心感かもしれません。
また信念会では、一年間で約1万枚にも及ぶ写真の中から厳選されてムービー化されたものを観ながらふり返りを味わいました。毎日は、怒涛の如く過ぎていきます。充実していることも忘れるほどに様々な課題や出来事に遭遇します。
しかしふり返りを大切にしていないのならばどうしても目先の問題に囚われ、物事のマイナスな面ばかりに感情が揺さぶられたり、事物の不安な側面ばかりが視えてしまったりするものです。ふり返りをしていくと、実はとても有難いご縁であったとか、本当は見守ってくださった多くの方々の御蔭様であったとか、善い方、素敵な方、仕合せな方を観ては今の自分に対して天が与えてくださっているすべてに感謝することができるように思うのです。
人生とは旅のようなものです。
目的地に行けないことばかりを悩んでは不平不満を並べるよりも、旅をしている最中を楽しんだ方が旅をふり返ったときにまた行きたいねと感じるものです。旅はふり返りながら歩むことにこそ真価真楽があるということです。
奇跡に出会った喜び、仲間に回り逢う仕合せ、そういうものを分かち合うご縁がある。
ご縁を大切に素直に学べることに感謝して、精進を味わっていきたいと思います。
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無心になり磨いていく中で、最後の仕上げまではいくら磨いても中々貝が輝かず、不安になりましたが、輝かないあの工程があるからこその、仕上げ磨きでの輝きがある事を体験し、輝かないものはなく、やった分だけ輝くのだと感じます。
完成ではなく、これからも益々、日々磨いて行く事で輝く事、また一人では諦めたり手が止まりそうでも、皆でやるからやり遂げられる事も体感しました。姿が人に与える勇気を信じ、今年はもっと一体となり働く意味を深めてみたいと思います。
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昨日の「磨き初め」は、非常に楽しい実践あり、「磨く」ことの深さと面白さを知る貴重なご縁でした。ただ磨けばいいわけではない。磨けば光るとは限らない。光らせるために磨くのでもない。力では磨けない。また、磨きには手順と段階がある。その段階に応じて適した道具がある。そして、光を宿し始める瞬間がある。光り方は同じではない。磨き込まないと光は深まらない。光り方から磨き方の違いが見える。光の深みから磨いた人が見える。何とか仕上げましたが、ある人の仕上がりを見て、「自分は人間としてまだまだだ」と感じた体験でした。
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3人が「笑」という一字を掲げ少し驚きましたが、それは単にそれぞれの一字でも3人のものでもないのだと感じています。先日、「電車の中でつられ笑い!」という動画を観ていたら、自分までつられて笑っていました。
「せーの」と息を合わせた訳ではないのに同じ一字になる不思議さと、動画のように周囲を巻き込むようなことが起きるのでは、起こせるのではないかとも思います。いろいろな事が起こるとは思いますが、心で決めたテーマを一年間楽しんでいきたいと思います。【●】
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昨年の忘年会で振り返るはずだったムービーですが、年を明けての新年会で観ることになったこのタイミングにも大きな意味があったのだと感じます。クルーやパートナーの方々、そしてご縁のあった貝磨きの先生と、一緒に歩んできた皆様と一緒に振り返る道程だったからこそ、一層の豊かさが感じられたのだと思います。昨年末は我が家でも一年間の動画を観ながら振り返りを行いましたが、この振り返る豊かさは誰にとっても大切なことを実感しました。子ども達のため、現場の先生方のため、もっと大きな視点では世の中の為と思いながら、振り返る豊かさを自分自身がしっかりと伝えられるようになりたいと思います。