間~意思の力(パワーストーン)~

生きていれば死があります、出会いがあれば別れがあります、生き死にの間に魂があるように、出会い別れの間には縁があります。

人間はどちらか片方だけで物事を理解するのではなく、「間」の中で真実を捉えることができます。しかしこの間とは、思いの世界でありその思いの世界をどれだけ味わい尽くしているかで物事の深みというのが変わってくるように思うのです。

「意思」というものがあります。

意思はそのもののいのちの目的でもあり、そのいのちが何を託されているかということでもあります。子どもたちが日々に産まれ、無限の種子が宇宙全体にばら蒔かれる様にいのちは発展と発達を已みません。その中には魂があり縁があり、それを味わい盡している心があります。

目には視えないからと分かるところだけを判断していたら、自分の存在が分からなくなってしまうものです。目に見えないものを静かに省みる時間、明けや宵のような沈んだ謐かで清らかな中でそのものの心に触れることが自分の存在を確かめる妙味を慈覚することかもしれません。

まわりと共にあるいのちを忘れずに、日々にいのりたいと思います。

  1. コメント

    母の元へ行き、過ごしていますが、またこれも何か意味を与えてくれていると感じます。明日の過ごし方も自分で思うものはありましたが、
    またこれもどうやら新たなメッセージを、頂いているのだと、思います。イレギュラーは自分都合だと苦しさと感じますが、何かのメッセージととれば感謝に変わります。感謝の姿勢を保ち、打ち克ちたいと思います。

  2. コメント

    「目に見える」というのは、肉体的認識法のひとつに過ぎません。また、眼だけでなく、耳鼻舌身意という「六根」も、すべて「自分の都合」に合わせた情報しかもたらさないと言います。この偏った情報では、自分自身を正しく認識することはできません。自分の本質は、「魂のうずき」であり、あらゆるとらわれを脱ぎ去って、それを「心の声」として聴く必要があります。そのためには、日常を離れた環境や雑念のない時間帯での自己対話が必要なのではないでしょうか。

  3. コメント

    父が還暦を迎え、お祝いをしました。あっという間にそんな歳になったことに驚き、自分自身も歳を重ねていることをしみじみと感じました。食事をしお酒を呑み交わしながら、ふと親孝行とは何だろう、これまで全然してきていないなあと感じました。これまで自分のためばかりに時間を使ってきましたが、両親や家族とともに過ごす時間を大事にしたいと思います。【○】

  4. コメント

    どこまで考えても分からないのは求める深さが足らないからなのだと思います。思えば死や別れを今まさに深く考えたこの数時間だけでも意識は高まりましたが、日頃それを忘れてしまうのは間を大事にしていないということなのかもしれません。
    「いつくは死ぬる手なり」と言いますが、自分が自分の枠の中に居着いてしまっていないかを常に省みないといけないことを感じます。今朝は早朝から娘とジョギングをしてきましたが、子どもの変化を求める素直さに見習っていきたいと思います。

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