運も実力のうち

先日、「運も実力のうち」という言葉を考える機会がありました。運の善さというのは、自然の摂理に従って人事を盡していることで目には見えない何かに見守られいつも助けてくださっている感謝に包まれているものをみるとつい運の善いと思ってしまいます。

多くの出会いに恵まれて素晴らしい環境を創造していく人たちに共通するのはそこに運の導きを素直に受け取っているその人の生き方があるように思います。

その運を次第に引き寄せるのはその人の実力のように思います。その実力とは、その運が善くなるように日頃から知らず知らずのうちに努力ができているということではないかと思います。

つまりは正しい努力を怠らないことができているから運が善くなっていくという好循環のことです。自分の中に何がもっとも善いことなのか、つまりは善良や善心を持つ人はその本心本性に従って自ら自然に精進を怠りません。

すると、その努力はもっとも純粋に地球の好循環と同じ流れに入り運もまた活かせるように思います。例えば私でいえば、選ばないことや、他人のいうことを神様のように聴く、意味を味わい尽くして学んでいくなども努力しているところです。

日頃から何を努力している人なのか、それが目に見えないところで怠らず慎み実践している人だから実力があるということなのでしょう。

運を学ぶということは、努力の意味を学ぶということです。

日々に気づいて改善していきたいと思います。

  1. コメント

    日々の努力と聞き、自分を振り返ると思うことがあります。やる事はやっているが、それ以外の日常はどうか?ということです。実践ばかりに力をいれ、日常にはどうなのだろうと感じました。
    プラスマイナスで調整される日々ではなく、積み重なる日々を送るにはやはり、根本から考え直して行きたいと思います。

  2. コメント

    「運がいい人」には、「徳」を感じます。過去世において、あるいは、これまでの人生において「徳積み」ができているのではないかと思います。しかし、「運を使い果たす」ようでは、真の「徳人」とは呼べません。見返りを求めず、誰かのために「陰徳」を積み続ける、その努力こそが、ほんとうの「人間としての実力」ではないでしょうか。「運を悪くしない」ように、謙虚で感謝を忘れないように努めたいと思います。

  3. コメント

    目には見えないものに感謝出来たり、口に出して思えたり、そういう人のところに運が引き寄せられているように感じます。「もってるな〜、ついてるな〜」聞いているだけでも幸せな気分を感じられますが、自ら発していったらもっと変わっていくのかもしれません。行動だけで実践した気にならず、発言もセットで実践していきたいと思います。【●】

  4. コメント

    昨日の仕事一つをとっても、一緒に訪問できる仲間があり、分からないことをすぐに電話でサポートしてくれる仲間があり、社内を守ってくれていた仲間があり、自分一人の力ではとても出来ないことも皆様に支えられ、させて頂けていたことを思います。生き方もまた仲間から感化されて少しずつ純粋な自然な状態に近づけているように思うと、俺は遣っているという独り善がりの努力ではなく、皆様のお陰で努力できているのだというを忘れてはいけないと感じます。ある先生が掲げていた今年の目標である「俺が俺がの我を捨てて、お陰お陰の下で生きる」のように、周囲の支えや見守りを感じられる心の状態でいられるよう努力していきたいと思います。

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