自然の中にある生き物たちを観察していると、そこにいのちの基本があることを実感します。今は基本が崩れている時代に入り、精神を病んだり心が閉じたり、様々な現代病ともいう病が蔓延しています。
自然界に生きる動植物から昆虫、微生物にいたるまで野生のものは全て活き活きしています。厳しくも慈しみがある自然界の中で、精一杯自分の生を生き切る姿に私たちは感動するものです。
いのちは輝くものですが、その輝くいのちとは精一杯の状態の時です。私の言葉では「生き切る」時です。いのちの基本は「生き切る」ことです。
刷り込みからあれこれと思い悩み憂いては、ありもしないことに煩悶し苦悩します。頭ばかりを使って感覚を使わなくなると、もともと備わっているいのちの力を発揮することができなくなってくるものです。結局、どこかでいつかは諦めないといけないことなのですが頭だけでいくら考えても無理なものは土台無理なのです。根本や基本は教材やテクニックでは乗り越えることはできないのです。
「いのち」はとても心と密接で、心の応じるままに初心を忘れなければいつまでも活き活きと光り輝きます。頭でああだろうとかこうだろうとかを思っているのは心を盡し遣っているわけではありません。「心が疼く」という言い方をした方もいましたが、心は行動や実践することによって「からだ」の感覚で一心に気づいていくものです。
「こころ」か「からだ」ではなく、「こころとからだ」ということです。心体技も同一のものです。私たちは分かれていないものを無理に分けて考えはじめたところに病の元があるようにも思います。そうやって分けて考えたことで、真実から遠ざかったのかもしれません。
いのちの基本は生き切ることです。
それは自分を全力で出し切ることでもあります。日々に出し惜しみせずに自分の中の最大限の真心を、そして誰の見返りを求めずに全身全霊に精一杯遣りきる日々こそ、万物のいのちの基本になるのでしょう。
基本があっての応用ですから、自然界の野生の生き物たちは基本に忠実ゆえに自然にお互いを思いやり活かしあうことができるように思います。
自然をお手本に自然の中での生き方を学び直していきたいと思います。
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初心から生き切ると、疲れ以上の勇気や元気をいただき身体にみなぎる事を感じます。昨日も園長先生と初心に触れる機会を何度も頂き、自分自身にとっても有難い機会となりました。何のために働いているのかを毎回話すことが現場では出来るとクルーは言いましたが、まさにその通りだと感じます。そういった環境がある事に感謝し、今日も歩みたいと思います。
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「智慧」がついて、いつの間にか「手加減する」ということを覚えてしまいました。「余裕」というものがないと不安になり、「出し惜しみする」ことも覚えました。「安全策をとる」と言って「力を温存」している間に「要領」も覚えました。「無理をしない」という口実で「手を抜いて」いる間に、「全力を出し切る」という感覚を忘れてしまっているかもしれません。「怠け心」の言い訳である「口実」というものと闘わなければなりません。
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「明日は今日より良くないかもしれず、悪いこともありうる。だが、明日にはひとつだけかけがえのない魅力がある。まだ来ていないということだ。」昨日の一円対話で学生時代にこの言葉に出逢ったエピソードを話しましたが、当時よりも今は更に積極的な解釈が出来るようになったことを感じます。頭で考えれば良し悪しと偏りますが、そもそも全てが福だと思えば、ただ自分の良心に従って思うがままに生きればいいのだと感じられます。今までも一寸先も、全ては光。何が起きるかを変えることは出来ませんが、受け取る自分の意識、そして今この一瞬から何を成すのか、ということは変えることが出来ます。無限の可能性に挑んでいきたいと思います。
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いつもたくさんの方に気に掛けてもらい、たくさんのことをしてもらっていることを感じます。嬉しいと感じたことにその人へ、また別の人へと出来ているだろうかと思うと頂くばかりの日々を過ごしているのを感じます。自分の笑顔が誰かの安心となれるよう、自分ができる最大限をつくしていきたいと思います。【●】