鹿児島には風土の教育文化として「郷中教育」というものがありました。この郷中教育とは藩内に「郷中」と言う数十戸で構成された自治組織を設けこの組織内における異年齢の子ども同士の間で学び合う仕組みです。
具体的には、六歳か、十歳までを小稚児と呼び、十一歳から十五歳の長稚児が生活万般のモデルを示す。さらにこの長稚児を指導するのは、十五歳以上の二才(にせ)と呼ばれる青年が担います。二才のリーダー格を二才頭(にせがしら)と言い、西郷隆盛はこの二才頭を務めていました。
所謂、「子どもの自治」を行うことで子どもたちをたくましくさせる仕組みがあったのです。今では大人が教え込まなければ子どもは育たないなどと刷り込まれ、知識や規範を厳しく躾けるようなことがいいように思われますが、かつて歴史で立派な人たちを沢山輩出した郷中教育では子ども同士の学び合いを何よりも重視しました。
そこには規則はありましたが、基本的には先輩がモデルを示し後輩を思いやり、己に克つための生き方を導いたリーダーが存在しただけです。非常に理に叶った方法で、異年齢による養育を行っていました。
その仕組みは、私たちの行う一円対話とよく似ています。磯田道史さんのニュースの紹介記事から抜粋していますがここにはこう書かれています。
「薩摩の子供は、まず早朝にひとりで先生(主に近所のインテリ武士)の家に行って儒学や書道などの教えを受けるのですが、誰を先生に選び、何を学ぶかは、子供が自分で勝手に決めていいんです。そして次は子供だけで集まって、車座(くるまざ)になり「今日は何を学んだか」を各自が口頭で発表します。決まった校舎や教室はなくて、毎日、子供が順番で、地域の家に「今日はこの家を教室に貸してください」と交渉します。社会性も身につきますよね。何より大事なのは、皆の先生がバラバラなことです。思想が統一されないし、話す本人は復習になるし、口伝え・耳聞きによって、知識を皆で効率よく共有できる。ちゃんと理解してるか、親よりも厳しく仲間同士でチェックし合います。」
子ども同士で気づき合うのがもっとも偉大な先生という発想です。異年齢で教え合うことで仲間の発達や気づきから、自分自身を鏡のように内省し、自らの改善点を自らで発見しそれを克服していく。
人間が育つということは、己を修めるということです。その己の修め方は先生が机上で教えるのではなく、仲間の挑戦から学ぶという方法です。決まりは、負けるな、嘘をつくな、弱い者いじめはするなと明瞭です。その他、自らに打ち克つためのことが書かれるくらいです。
教育といっても今のように知識偏重型だけのものではなく、人本育成について真剣に考えて編み出した仕組みがこの郷中教育であったということです。
西洋のメソッドばかりを見ては、学者が言う事をさもそれが最先端だと思い込みますが日本の風土に遺っている歴史の篩をかけられても真実の記録が残っているものこそ、最先端のような気がしてなりません。
温故知新とは、かつての本質を今の時代に甦生させるものです。
私が今、提案して実践をしている一円対話はその郷中教育の仕組みを随所に取り入れています。人は教えなくても育つ、できるようになるには異年齢による見守りが必要であるというのは古今東西の発達の真理なのでしょう。
さらに磯部さん郷中教育の仕組みをついてこう語っています。
「判断力、決断力、実行力を伴った、まさに「知恵」ですね。定まった知識をテキストで身につけるのでなく、(1)あらゆる事態を仮想し、(2)それに対処するアイデアを考え出し、(3)その中から正しいものを選択し、(4)実行する“度胸”を持つという。」
生きる力とは何か、子どもたちが立派に自分の使命を果たし仕合せに役割を全うするための社會人、生活人にしていくための仕組みを考えた先人には頭が下がります。そしてこの郷中教育の基本は文字で教えず、全て実地実行、実践によってのみ行ったということです。
今年はこの郷中教育も少しずつ深めていきたいと思います。
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日々、一円対話での学びやクルーブログでの学びを頂いていますが、クルーブログを思った時、それぞれのクルーのブログを読みながらも、「学ぶ」姿勢で読んでいるだろうか、と振り返ると、ただただ読んでいる部分もあると感じます。自分の姿勢次第で、「学び」や「気づき」は大きく変わってくるからこそ、楽しみとしての読み物だけにするのではなく、もっと学ぶ姿勢を大事にしていきたいと思います。また、その学びをまた本人に感謝の気持ちで還元する思いを持ちたいと思います。
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一昨年の大河ドラマ『八重の桜』で、「ならぬことはならぬものです」という、会津藩の「什の掟」を知りました。それも、「郷中教育」と似ており、同じ町内に住む6歳から9歳の藩士の子どもたちが、「什(じゅう)」という集まりをつくり、年長者が什長となって、毎日順番に什の仲間の家に集まり反省会を開いたようです。こちらは「学び」というより「規律教育」のようですが、いずれにしても、異年齢の子どもたちだけでお互いが学び合い、磨き合う仕組みがあり、十分に機能していたことに驚きます。「教育」ということと「その仕組み」についての日本人の価値観を、根底から学び直してみたいと思います。
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自分の小さい頃を思い返すと同学年の友人とばかり接し、異年齢の関わりはほとんどなかったように感じます。時々3つ上の兄の友人と関わることはあっても、中学へ入学し部活を始めるまで異年齢での関わりは少なかったように思います。ただそれ以降は先輩に可愛がってもらい、きっかけがあればいつもでも学びあえるのだと感じます。ただ、そう思ったときに自分よりも年下との接点もまたほとんどなく、実はもったいないことなのだと感じます。
オランダ人が寺子屋をモデルにするように、今改めて藩校を見直すのは時代が求めているからなのだと感じます。もともとどうだったのか、子どもに携わる者としてもっと注目していきたいと思います。【●】
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今回の郷中教育の仕組みを読んで非常に納得出来るのは、自分自身で日々の一円対話を体験していからであり、これもやはり文字からではない実践による学びなのだと感じます。今は大人同士での一円対話ですが、この仕組みが刷り込みの少ない子ども達同士で行われ続けていたとなると、一体どれほどの学びになっていたのかと考えただけでワクワクしてきます。一つの正解に合わせようとする教育ではなく、お互いの違いを認め合い学び合う豊かさを大切にしていきたいと思います。